2010年8月30日月曜日

8/29 無人島

第一番札所は寝苦しかった。8畳か10畳ほどで意外に広い。締め切っていたため暑い。窓を開けて窓際に寝た。宵のうちは風も少しあったが夜中から全く無くなり暑い。蚊はほとんどいないのは幸いだったが、急に何やら細い大きな虫が体にくっついたので慌てて払いのける。しばらくしてまた這ってきた。月明かりでよく見るとナナフシ。つまんで外に捨てる。ようやく少し風が出て涼しくなったと思ったら今度は外で足音と、何やら探す物音。まだ夜明け前で暗い。それからは眠れず。明るくなってよく見ると外にスーパーカブ。灯台の下の方に人影が見える。釣り人らしい。御堂を出て水道の近くで朝食。朝からカレーが良いと言うので持っていたチンご飯とレトルトカレー。

因島八十八箇所巡り一番札所











一番奥の小屋が札所








昨日水軍祭りの会場をとおってさらに一般道を走る。幸いにもコンビニは所々にあり、買物には困らない。井口大橋の手前で休んでいるおじんチャリだーがいる。話を聞くとこの人、しまなみ海道が出来てから10年くらいで、もう1000回くらい通っていると言う。料金だけでももう80万円暗い払ったと笑っていた。毎回全部の橋を渡っている訳ではないらしいが、1000回ならそれ位になってもおかしくない。60才の時病気をして、そのリハビリで自転車を始めたとか。良い場所を探してはスケッチをしていると言う。一度はトンネルの中で車に跳ねられ、背骨を折る大怪我をし半年療養したらしい。「日本一周か、いいな、俺もやって見たいけど、病気を抱えているので自信がないな」と。でもそれだけ元気なら大丈夫ですよ。
伯方・大島大橋の中間の無人島に無料のキャンプ場があると先ほどのオジンチャリだーに聞いたので気を付けて走っていると、なるほど橋の中間に下りる道がある。車は通れず、自転車と原付きと歩行者専用である。キャンプ場に着くと、そこは目の前が砂浜。堤防の内側がキャンプ場になっており、トイレも流しもある。大きな藤棚があって中年の男が4人いて、泳いだり、ハンモックに寝ていたり、堤防に座ったりしている。一人の人に話しかけると、みんな仲間でこの所、毎週のようにここへくるのだそうだ。車が入ってこないので静かで良いと言う。今日はここに泊まることにして、荷物をおいて食材を買いに出た。そのあと私もTシャツだけ脱いでそのまま海に入ってみた。水はそれ程冷たくは無く、とても気持ちが良い。久し振りに泳いでみた。10年振りだ。体がすごく重く感じる。遠浅でないので少し沖へ行くともう足が届かなくなり危ない。岸に沿って何度か行ったり来たり。
4人組の一人がやはり自転車で10年程前に北海道を回ってきたと言う。同じ外周でも微妙にコースが違ったようである。しばらくみなさんと話をしているいたが、夕方になって4人は帰るので記念写真を撮らせてもらう。一人はブログに載るのは困ると言うので入らなかった。







もう一人の人に、今治に来たら寄ってくださいと名刺をいただいた。日高モータースの日高さん。社長さんだ。
6時頃みんな帰って行った。今夜この島に居るのは私一人か?
走行距離 48km
支出 1413円

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8/28 しまなみ海道

福山の民宿竹の家を9時頃出発。また国道2号線暑いので止まってばかり。途中でまたバイパスになり通れなくなる。仕方なく左にある山間の道を走る。バイパスが通れたら楽なのに。いつも自転車は締め出しを食らう。小さな池にゴルフの打ちっぱなしがある。こんなのは珍しい。ボールはとよく見ると波で一カ所に集まっている。






うまく考えたものである。
しまなみ海道の起点である尾道に着いたが、どこから入って良いやら。一応車の入り口を目指すがやはり自転車は入れない。ネットでホームページを見てもはっきりしない。googleで調べると、どうやら橋まで行かなければならない様子。しまなみ海道は自転車で通れると聞いた時、当然のように自動車専用道路と並行にずーっと橋を連続して走れると思っていた。ところが違うのである。並行に走れるのは橋の部分だけで、あとは一般道路を走るのだ。ところがである。尾道大橋への上がり口まで行くと、自転車はこの先の尾道港からフェリーで渡れと表示されている。この橋は渡れないのか。しばらく行き、表にいた旅館の女将風の人に尋ねたら、通れるけどフェリーの方が楽ですよと言う。楽で無いのは承知の上なので引き返して橋に上がった。やっとしまなみ海道の始まりである。この橋はどう見ても普通の橋。車の脇の狭い路肩を走る。出口に料金箱。自転車は10円。向島の一般道を走り次の因島大橋。やっとしまなみ海道の橋らしくなった。二階建て構造で下は歩行者、原付、自転車。







入り口付近で下を覗いていたカブのおじいさんが話しかけて来た。この人、尾道の観光案内人で今日は因島の祭りを見に来たという。水郡祭りと言ってかなり賑わうらしい。今まで大きな祭りに遭遇した事は無いので、せっかくだから見る事にする。ついでに「泊まる所はないですかね」と訊いてみる。「民宿はたくさんあるよ」「いや、民宿ではなく、できればただの所」「キャンプ場ならあるけどね。有料だね」。因島大橋を渡り終えた所にさっきのおじいさんが待っていた。橋の下の方を指差し、「灯台の近くに御堂があるだろう、あそこは88箇所巡りの一番札所で、戸は開いてるから泊まれるよ。」ラッキー!
因島水軍祭りは村上水軍の歴史に基づいた、この辺りでは有名なお祭りのようである。開始は4時と言うことなので行って見た。露店のテントが沢山ある。海岸でからはすでに太鼓の音がする。





祭りはストーリー性が有り、戦いに行った水軍を迎えるところから、最後に全部の軍団が集まって勝どきをあげる。途中に太鼓や色々な踊りが入る。砲術隊も来て古式砲術を披露した。100匁銃はさすがにど迫力。100匁と言うと365gである。玉の重さか火薬の重さかは分からないが。暗く成ると人はどんどん増え、さながら日比谷のタイフェスティバルのようである。最後は定番の花火。規模は小さいが近くでみると迫力十分。
祭が終わって一番札所に向う。

走行距離 42km
支出 6232円
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8/27 福山市

民宿千草を8時半ごろ出発。






取り敢えず倉敷を目指すがおよそ20km。起伏が多い。なにしろ児島半島の先端にいたのだから。途中に水島市。水島コンビナートと言うのは聞いた事がある。化学工場らしき建物が並ぶ。ふと、ビルマの竪琴の主人公の名前も水島だったた事を思い出した。倉敷の町は何となく落ち着いた雰囲気がする。民宿でもらったパンフレットに、古い町並みの通りが載っていたので、そこへ行ってみる。入り口付近で手作りアイスクリームと称した屋台があり、なんだか食べたくなり1つ買う。コーンは何色にしますかと言われて一瞬返事に困ったがピンクにした。
お兄さん、私の格好に興味を持ったようでいろいろ聞いてくる。これから四国へ行くと言うと、それならあそこの人が詳しいから訊くと良いと、筋向かいの露天を指差した。とりあえず回ってからと思い、町並みを散策。川に柳の枝が垂れ下がり、その下を観光の船がゆったり流れている。観光客が沢山歩いているがみんな暑さには参っている様子。倉敷の古い町並みは、川越宿などあちこちの宿場町を見ているのでそれほど珍しい風景ではないが、しっくいの壁が多いのが目につく。先ほどのアイスクリーム屋の前まで戻って来たら、さっきのお兄さんが筋向かいの露店の人に、「この人、四国へ行くそうだからいろいろ教えてやって」と声をかけてくれた。この露店の人、四国は何度も回ったらしいが「歩いてですか」と訊いたら「いやいや、歩くと金がかかるから、バスや」。取り敢えず、しまなみ海道までの道を教わって走り出した。旧2号線を行くと良いらしい。旧2号線も途中までで、結局は2号線に合流。途中でゆっくり休憩するところがない。ホームセンターなどで少し涼むが座るところはない。以前は道の駅など途中の休憩でブログを更新したが、休憩場所が無いのでブログも滞りがちである。福山市でやっとスーパーの中に休憩所を見つけて休む。もう5時過ぎ。暑いので今夜も民宿にと思い、googleで探している内に外は突然の雨。久しぶりの雨だ。これで少しは涼しくなるか。
2kmほどの所の民宿を予約。素泊まり3500円。夕食を買い、しばらく雨宿りしてから民宿へ向かったが、途中で大雨。LPガススタンドで雨宿りさせてもらう。来ていたタクシーの運転手「俺のうちじゃないけどゆっくりして行ってくれ」と冗談を言って帰って行った。今日の宿は民宿(竹の家)






走行距離 72km
支出 7195円


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8/26 瀬戸大橋

やはり暑くて何度も目が覚めた。虫の声が結構うるさい。気温はまだ真夏だが確実に秋が近づいているようだ。早朝から人声や車の音がする。






急いで起きてテントを片付け6時半頃出発した。入り口付近で3人の男がこちらを見ながら話をしている。どうも良くは思われていない様子。普通なら声をかけるところだが、そうそうに通り過ぎる。

備前から2号線を通って瀬戸内市を抜け岡山の手前あたりでまたバイパスとなり、2号線を迂回。機械で土手の草刈をしているが、なんとラジコン。急斜面では危険なためであろう。それにしても草刈機のラジコンは始めてみる。







地図をあまり確認しないで道路表示を頼りに橋に向かうが、なかなか橋が見えてこない。海岸線に出てから延々と走り、鷲羽山の展望台に上がって初めて全貌が見えた。大きな橋だ。





自転車で橋に上がる道を探すが、さっぱりわからない。橋の下まで来てしまった。民家の人に訊くと「この橋は自転車で通れないよ」がーん!
そうだ、しまなみ海道はこれだと、なぜか途中から思い込んでいた。よく考えれば瀬戸内には橋は3本架かっており、これは瀬戸大橋。しまなみ海道3本目で尾道から。ここは児島半島。そんな事は分かっていたはずなのに。携帯の小さな地図しか見ていなかったのも要因か。時間はもう6時近く。木を取り直して泊まる所を探すが、適当な場所はない。気分も落ち込んだので、民宿に泊まる事にした。googleで探したらすぐ近くに有った。iphoneこんな時は有難い。
走行距離 72km
支出 1569円

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2010年8月28日土曜日

8/25 備前

乗船さん宅の前で記念写真を撮る。






近所の人や子供も来て賑やかになった。奥さんがお弁当を持たせて下さった。夕食の分まで有るらしい。有難い事だ事だ。
姫路に来たら姫路城。新幹線の駅から真っすぐである。天守閣はあいにく修理中で足場が組まれており、大きなクレーンが機材を運んでいる。せっかく来たのにちょっと残念な光景。







天守閣には入れないので百間廊下を見学。廊下の周囲には矢を射るための狭間?や石落としのための仕掛けが面白い。石垣を登ってくる敵に、ここから矢を射たり、石を落としたりするのだ。外の警備の人が、ここがドラマなどで良く撮影される場所ですよと教えてくれた。天守閣がカッコ良く見られるポイントだ。ひる少し前に城を出発。途中のシャッターを閉めた店舗の前で持たせてもらった弁当を開いた。大きなおにぎりが5つと、ミニトマトやチーズや漬物まで入っている。美味しく戴いた。
2号線を走り続ける。前方の電光掲示板に(2号線事故のため通行止め)間もなく交差点で警官が交通整理している。自転車は大丈夫のようだ。それからしばらくは車がほとんど通らない。事故は困るが道が狭い上に空いて居るのは大歓迎。しばらく行くとどうやら事故現場。レッカーが路肩に落ちた大型トラックを引き上げている。






何もない直線道路。おそらくは居眠りであろう。もし横を走っていたらと思うとぞっとする。
2号線をこのまま走っていても泊まる所は見つかりそうも無いので脇道にそれる。ところが途中からブルーラインと言う自動車専用に変わる。仕方が無いのでさらに脇道を辿り、備前市に出た。あちこちに備前焼の看板が目立つ。なんとか泊まるところを探さなけてば。2号線に近くなった時に備前運動公園の看板を見つけた。運動公園はどこの町でもあまり利用されていないのが普通だ。泊まれる可能生は高いとみてスーパーで買い物をして向かった。ところがもう7時頃なのにテニスコートは大勢プレーしており、ドームで覆われたプールも営業。少し当てが外れたが、テニスコートのそばの植え込みあたりで適当な場所を見つけ、あとはテニスコートの観客席で食事したりメールチェックなどして時間をつぶした。非常に明るいので幸いであった。閉園は9時であった。

走行距離 69km
支出 1250円


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2010年8月27日金曜日

8/24 姫路

チェックイン待ちの外国人2人に別れを言って9時前に出た。神戸の街は道路が広くとてもきれい。






昼ごろようやく明石大橋に到着。しばらく休憩。
さすがに大きな橋である。





2号線を通り、その後は新幹線の下の自転車道路を見つけて走る。それも途中で終わり。そのごはiphoneの示す姫路バイパスの側道を通ったが、これがまた大変。上がったり下りたり、おまけに細い道。やはり歩行モードでは無理があったようだ。今日の訪問先は姫路の乗船さん。5/7に宮城の道の駅でお会いした方。朝から何度も電話をくれたようだがこちらは機内モードのため繋がらなかった。明石大橋でこちらから電話して、家まであと2kmと言う所でもう一度電話した。道順を丁寧に教えてくれる。しかし跨線橋が渡れず、離れた踏切を通ってやっと付いたのが五時過ぎ。奥さんが玄関さきに出ていた。当の本人は私が遅いのでさがしに行ったという。携帯を置いていったので連絡つかず、今度は奥さんが自転車で旦那を探しに行った。ほどなくして旦那が帰ってきた。5/7以来2ヶ月半ぶり。しばらくして今日の計画は温泉だと言って、神戸の方の白雲台温泉に連れて行って頂き、食事もご馳走になった。奥さんのお友だちも途中で乗せて来たので4人で賑やかで楽しかった。ただし当の本人は今朝歯医者でゴリゴリやられたと言う事で、普通の物が食べられず、チーズケーキをジュースで流し込んでいる。ちょっと申し訳ない気分。帰ってから自転車旅行の行程を写真や地図を見せながら話をした。乗船さん自身も車でふらっと出かけ、1〜3週間、家を明ける事があるそうだ。宮城で会った時もそんな旅の途中であった。

走行距離 77km
支出 723円

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2010年8月26日木曜日

8/23 神戸へ

昨夜はジャスコ横の公園で眠れ
ない夜を過ごした。22時過ぎから高校生らしき男女が10人ほど集まり、少し騒ぎはじめた。奥の方の東屋のベンチで寝ていたが、夜中の1時頃、若い男女がやって来て「おっちゃん、他へ行ってくれへんか。俺彼女と話があるやねん」「おっちゃんホームレスか?金ないんか? なんや違うんか」「自転車で旅行?なんでそんなことしてんねん」「そうか趣味か」
東屋は風通しが悪いので暑くて寝られず、どうしようかと思っていたので、あっさり譲ってあげた。もめても仕方ないし。そうするとそのあんちゃん「悪いなーおっちゃん」と何度も言っていた。移動先はたむろしている高校生たちにほど近いベンチ。話し声や時々大きな声で騒ぐので眠れず。おまけに蚊。蚊取り線香は点けたが余り効果なし。虫除けスプレーも塗っておいたが、時間が立つと効果が薄れる。それにベタベタして気持ちが悪い。朝の4時頃やっと一人二人と帰り始めた。最後に女の子5人がまとめて帰ったが既に5時を回っていた。どんな生活をしているのか。
大阪を抜けて神戸へ向かうが通勤客の多い繁華街はゴミや吸い殻がいっぱいなのには驚いた。歩きながら平気でゴミを捨てる人が多いのだ。43号線の下を走る。高架になっているため、川を超えるたびに歩道のスロープを自転車を押して上がる。川が多いのでなんども繰り返し。
すっかりくたびれてしまった。






阪神大震災の時、テレビで何度も聞いた地名が出てくる。長田区、須磨区など。しかし今地震の面影を示す物はない。神戸近くなっても泊まれそうなところは無いので、ユースホステルに電話したが満室。もう一つあったがまだかなり先。持ち合わせのガイドブックで調べたらKobe Dears Backpackers Houseと言うのが東灘区に有る。電話すると一人なら空いていると言う返事。ガイドブックによると外国人が多いらしい。3kmほど戻って宿に着いた。





スタッフが居なければ勝手に入って待っていて良いと言われていたので、荷物をおろしていると、スタッフの女性が来て部屋など案内してくれた。部屋は2段ベッドが2つの4人部屋。とても狭い。赤いワンピースがかけてあった。女性も同室のようだ。木製の簡単なロッカーがあり、その南京錠を貸してくれた。料金は一泊2500円。さっそくシャワーを浴び洗濯を済ます。教えられた近くにスーパーで買い物をする。宿に帰ってロビーで食べていると、同じ様に弁当を買ってきてパソコンとにらめっこしながら食べ始めた外国人女性。アメリカ人で日本へはオーディションを受けに来たと言う。北京でブルーグラスのバンドをやっていて楽器はバンジョー。日本へ来て3日目だそうだ。この人同じ部屋らしい。きれいな人だったが残念ながら写真は撮るチャンスは無かった。

走行距離 58km
支出 2058円



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8/22 大坂和泉市

カプセルホテルを出る時、昨夜泊まったと思われる同年台のチャリダーがいた。紀伊半島一周するらしい。大阪の人。寄ってくださいと住所を書いてくれた。






大阪まではさしたる登りもないが、街中ばかりなの信号が多く楽ではない。途中の海水浴場がいくつかあり、大阪に近いので客も多い。駅の近くのコンビニは大はやりである。中学生らしい数人のグループが来て、表で賑やかにカップ麺など食べていたが、帰った後をみるとゴミが散らかり麺がぶちまけてある。先が思いやられる。
実家からの再スタートに備え、小型のクーラーバッグを買った。凍った飲み物と一緒に飲みましたお茶など入れておけばいつも冷たいのが飲めて重宝である。少し嵩張るが致し方ない。








知り合いの家は和泉市。14時過ぎに着いた。早速ふろを沸かして頂き、入らせてもらった。汗を書いた後の風呂は気持ちが良い。私より11才年上で奥さんとお婆ちゃんの三人暮らし。おばあちゃんは奥さんの親で94才。元気そうである。身の上ばなしや昔の話ですっかり遅くなり、夕飯まで戴いて7時頃お暇した。宿探しにはもう遅い時間。交番で訊くと旅館を2軒教えてくれた。一軒目は満室だと体良く断られ、二軒目は素泊まり4700円。今まで感覚では高過ぎ。安くなりませんかと言うと「駅の向こうの富田屋さんにいって見たら。ねだんはしりませんけど」と言われ 、その富田屋さんへ行って見たら5000円。安くなりませんかと言うと「それなら他を探してください」とぴしゃりと言われてしまった。店の構えはさっきのよりも立派だったので仕方ないか。いよいよ困ってうろうろ走る内、ジャスコの横に適当な公園があったのでここに泊まる事にする。しかしここも後でいろいろ起きるのである。

走行距離 55km
支出 2932円

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2010年8月23日月曜日

8/21 御坊から和歌山市

昨夜犬の散歩に来たお兄さん、小さい犬を連れて今朝も早くから来ている。見かけはちょっとごついが話をするとやさしい感じ。イヌに対してはもっと優しい。イヌがちょろちょろとあちこちへ動き回るが、無理に引っ張たりせず、イヌの好きなようにさせている。出発する時、ハイエースの後ろで手を振ってくれた。和歌山までは2つ峠越えがある。最初は楽だが次はけっこうキツイと犬連れのお兄さんが教えてくれた。一つ目を超えて2つ目に差し掛かったところであまり暑いので、民家のそばの日陰で休憩。(その前も何度も休憩したが)そこでタオルを洗わせてもらう。あと2kmほど上るとトンネルで、その後はずっと下りで、和歌山まで上りはほとんどないとの事。峠を超えてしばらく行くと海南市。







海南と言えば、中学生の頃、先に訪問した紀宝町の人の弟(清兄さんと呼んでいた)がしゅんせつ船で働いていて、2日ほど泊まった事を思い出した。甲子園に海南高校が出場していたように思う。船の中は暑かったが、今年のような暑さであれば居られなかったであろう。清兄さんに付いていってバーで飲んだバナナジュースの美味しかった事は良く覚えている。この兄さんは既にいない。和歌山市に着いて同級生に着いた事を連絡し宿探しを始めたが、駅の近くはみんな満室とのこと。カプセルホテルが5時から営業と言うので、5時を待って電話するとOK。荷物をおいて風呂に入り、6時半頃、同級生の息子の行きつけのやきとり屋(Bird Man)。黒い野球帽のスタッフはきびきびとしていて気持ちが良い。単なる焼き鳥だけでなく、野菜をふんだんに使ったメニューもあり、女性にも人気のようだ。旧友と2時間ほど飲みながら昔話や近況を語り合った。駅前に戻るとまだ祭りの最中で、仮設舞台でゲストのお笑い芸人が喋っており、手作り風の屋台が賑わっている。





走行距離 69km
支出 939円
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2010年8月22日日曜日

8/20 南方熊楠

9時過ぎ病院に着くと丁度発声訓練であった。療法士さんが大きく口を開けて、アイとかアウとか言うのを真似して発声する訳です。頭では分かっていると思うが口の筋肉が思うように動かないのでしょう。誰でも小さい頃からこの様に、他の人の口の動きを真似してしゃべれる様になったのだと言う事を改めて実感した。
10時過ぎに病院を出る。車椅子で奥さんと二人で表まで出て見送って頂いた。

その後白浜の名物、円月島を横目に走り、









しばらく行くと南方熊楠記念館が有ったので入って見た。










和歌山が産んだ博物学者。植物や生物の研究、特に粘菌(年金ではない)の研究で有名な人。幼少の頃から記憶力に優れ、友人宅の本を読んでは暗記し、自宅に帰ってから書き記した。文字だけで無く挿絵も細かく書いてあるのには驚きである。膨大な数の本を筆写することで自分の物とし、歩く百科事典と言われたそうである。神社合祀、森林伐採に反対し熊野の自然を守った。熊野古道が世界遺産になれたのも、この人が居たからと言われる。
3時過ぎから泊まれそうな場所を探しながら走るが、適当な場所がない。東北や能登にあったようなトイレ付きの駐車場が全くない。「疲れたら休憩所で休もう」と言う看板は目に付くがどこで休めと言うのか。4時半頃御坊市塩谷で格好の公園を見つけた。トイレも水もあって、東屋もある。芝も良く手入れされていて、まだ新しい。池はあるが海水なので蚊の心配は少なそうである。イヌの散歩に来や人にコンビニの場所を訊き、買物して帰ってくると、高校性くらいの男の子がスケボーをやっている。その内さらに2人来て3人で始めた。遅くまでやるのかと心配したが、20時過ぎにはやめて休んでいたので少し話しかけてみた。一人はすぐに帰ったようで二人しかいない。一人は工業高校の機械科の3年生。もう一人は定時制の3年生。21時になると二人共母親から帰れコール。急いで帰った所をみると、まじめな高校生。

走行距離 60km
支出 1835円



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2010年8月21日土曜日

8/19 リハビリ

借りた家は別荘地。高台にあって見晴らしは抜群。でも昨夜奥さんの車の後に着いて坂をのぼるには大変だった。今朝は坂を下るだけなので楽ちんです。病院へ行く前に白良浜海水浴場に寄ってみた。文字通りの真っ白い砂浜。まだ9時だと言うのにもうすでに客が来ている。あちこちのホテルから子連れの客が、ぞろぞろと海岸目指して歩いてくる。



病室に着くと読み書きのリハビリ中。その後は手足のマッサージと歩行訓練。一度全てのコントロール機能がリセットされた様なものなので、回復は容易ではないと思うが、少しづつ良くなっているのが感じられる。療法士さんの仕事も大変である。お年寄りの患者が多いが、どの療法士さんも笑顔で優しく話しながらリハビリを行っているのが印象的だ。平均年齢は26〜7才だそうで、フットサルやビーチサッカーのチームがいくつもあって、みんなとても仲が良いのだそうだ。良い表情もそう言う事に裏打ちされているのかもしれない。
午後は自転車旅行の写真を見せたりしている内に時間が過ぎ、もう一晩泊めていただく事にした。

一緒に記念撮影。表情がとてもしっかりして来た。幼馴染みももう58才になった。



本日の走行 0km
支出 822円


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2010年8月19日木曜日

8/18 一日早過ぎた

一晩中暑く、おまけに蚊も多かったのであまり眠れなかった。







地元の人も驚きの暑さである。早朝テントの外では風は有るものの爽やかではない。早く出ようと思ったが近所に住む人が来て、色々と話していたので結構遅くなった。この人によるとキャンプ場は今日から無料だそうだ。残念一日早過ぎた。海岸沿いの道を行くが、アップダウンばかり。道はアップダウンだが暑さはアップするばかり。オーバーヒートしないよう早めに休憩するので、なおさら前進は遅い。ここはもう亜熱帯、駐車場の木もこんなです。










4時頃はまゆう病院に到着。ここに幼馴染みの親戚の者が交通事故で入院している。昨年の一月に事故にあってからもう1年半。病院を転々とし、今はここで読み書きや歩行などのリハビリ中。当初は意識が戻る事さえ危ぶまれたが、奥さんの献身的な努力で奇跡的な回復を見せている。病室に行くととても喜んでくれた。昨年あった時よりは顔がずっと引き締まっており、言葉や手足の動きも随分良くなっているのを感じた。
今夜は彼の家を借りる事になった。奥さんはずっと病院で寝泊りしているので、家は空いているのだ。

走行距離 77km
支出 2284円




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2010年8月18日水曜日

8/17 本州最南端潮岬

9時すこし前に実家を出発。年老いた母を一人残しての出発はうしろ髪惹かれる思いであるがやむを得ない。






10日余りものんびりしていたので気持ちも体もすっかりなまってしまったと思ったが、走り出すとすぐに現実に戻った。海岸に沿って42号線を走るが暑い!。昨年座礁した船が解体中であるが、まだ一部残っている。途中久し振りに紀宝町の
従兄弟を訪ねた。血気盛んな頃のイメージが強い従兄弟だが、もう80才。怪我や病気で今は歩くのがやっとの状態である。奥さんは急に認知症になり、何も出来ないという。娘さんが隣に住んでいるが、子育ても仕事もあるので十分な介護は無理であろう。従兄弟としばらく近況など話したが、何もしてあげられないもどかしさを覚える。
新宮市、那智勝浦を過ぎる。天気は良いが景色はすこしかすんで見える。イルカの大量虐殺として話題になった映画The Coveの舞台である太地町を過ぎ、しばらく走ると「ここは串本向かいは大島、中を取り持つ巡航船」と歌われた串本だ。今は大島とは橋でつながっているので巡航船は無い。

橋杭岩





この辺になると咲く花も南国調これは多分ハイビスカス。
さらにすこし走ると潮岬、本州最南端である。灯台を見学する。螺旋階段を68段上りあとは急な梯子。上からの眺めは素晴らしい。下に灯台のレンズが展示してある。知らなかったがレンズは水銀に浮かせて回転させていたらしい。今夜は灯台近くのキャンプ場。この町の5時のチャイムは串本節です。北海道も東北もチャイムは「恋は水色」が多かった。民謡は初めて。

本日の走行 73km
支出 2205円




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2010年8月15日日曜日

8/12〜8/15

8/12 息子夫婦は墓参りを済ませると慌しく帰って行った。群馬まで650kmは結構な距離。
8/13 鈴鹿の姉も、津に墓参りに行く友人の車に乗せてもらって帰った。人が徐々に減っていくのは寂しいもの。
8/14 10時から、お寺で恒例の行事が有るので出かけることにしたが、家を出たのは11時過ぎ。高齢の母が、身仕度に時間が掛かるはいつもの事だが、このところさらに遅くなってきた。
夕方母の実家(兄宅)で、そこの子供や孫たちと賑やかにBBQが行われた。船の仕事をしている人がいて、いつも美味しい魚介類を持って来て振舞ってくれる。この日は(はも) の天ぷら。初めて食べるが美味しい。小骨が多いらしいが、上手に骨切りがしてしてあって全く気にならない。
8/15 中学時代の友人を訪ねた。17年も会社勤めをした後、高山の家具に魅せられ家具職人になり、地元で工房を開いている。アーリーアメリカンの家具が得意だ。
友人宅を出て、近所の母校を訪ねた。

母校の入鹿小学校。石垣と階段は昔のままである。




同じく母校の入鹿中学校
かつては500人も居たのに今は20数人。建物はすっかり変わったが門周辺は変わらない。



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2010年8月13日金曜日

8/6〜8/11 実家滞在中

8/9 新宮へレンタカーを借りに行った。初めに電話したトヨタレンタカーでは連休なので車はないと言われ、さらに他の店も同じでしょうとも言われた。幸い小さな店で、屋根が有れば何でもいいからと軽自動車を借りることが出来た。久しぶりに運転するとこんな楽なものはない。ついでに買い物をとジャスコへ行くと、入り口でウクレレを演奏している。おじいさんを発見。元はプロのハワイアングループの鈴木さん。伊勢辺りで活躍していたらしい。裏声で歌えたので、ギャラはリーダーの次に良かったと右手指で丸を作って見せた。写真をと言うと、ちょっと待と言って首にネックレスをつけてポーズ。いつも奥さんの買い物を待ちながらここで演奏しているそうだ。
私もしばらくウクレレサークルに通ったが、人が少なくなってサークルは休止。中途半端で終っている。この旅が終ったら改めてやってみようか。

ジャスコの前で鈴木さん


8/11 息子夫婦が私の実家滞在に合わせ、墓参りも兼ねて群馬からやって来た。こちらに来るのは9年振りくらい。実家の母は息子の嫁とは初対面。写真では知っていたものの、本物が来てくれたので大喜び。一緒に焼肉を食べたり花火をしたり。遠くから来てくれた息子夫婦に感謝。








実家に来てはや一週間。毎日自転車を漕いで、毎日寝場所の心配をしていたのが遠い過去の様な気がして来た。モチベーションも下がってしまう。16日の朝の再出発に向けて、荷物の整理や地図のチェックなどでテンションを上げていかなければ。


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2010年8月7日土曜日

8/5 実家 (南牟婁郡御浜町)

長島の宿を8時ごろ出発。女将さんが送ってくれた。走り出してすぐに雨。陸橋の下で雨宿り。さらに地下道で雨宿りした後急にハンドルがふらつく。パンクだ。郷土資料館の軒先を借りて修理。確認のため空気を入れると釘などは刺さっていないがタイヤに耳にを近づけると空気が漏れる音がする。このタイヤは柔らかいせいか、まだ1000kmちょっとなのにかなり磨耗が進んでいる。






この後も走り出すとまた雨の繰り返し。雨雲を追っかけているみたいである。42号線はあちこちで工事中。追い越し車線や右折車線を作るらしい。これで渋滞が減るのは良いが、スピードが上がるので事故が増える元にもなりかねない。高速が伸びると交通量が減る在来道路に、いまさら金をかけるのどうかと思う。工事中のためかダンプが多い。対向車がいると追い越せなくて後に付いているのが分かる。時々路肩に止まってやり過ごす。尾鷲をすぎると最後の難関矢の川峠。車でも上るのは楽ではない。千仭谷、万仞谷等の高い橋や長いトンネルを抜ける。最後は熊野市の鬼ケ城の手前辺りまで一気に下る。ここも逆コースの方が大変かもしれない。尾鷲付近で反対側に年配のチャリダーを見たが、話は出来なかったが大変だったであろう。
鬼ケ城を過ぎると見慣れた七里美浜の海岸線がみえる。実家はもうすぐ。雨は上がっている。

少し暗くなりかけた七里美浜






走行距離 69km
支出 1359円


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8/4 大紀町長島

おじさんこと西山さんは、朝早く墓参りに行くと言うので早くに朝食を頂いた。「では気い付けてな」と言っておじさんは自転車で先に出かけてしまった。荷物をまとめおじさんの家を後にする。お世話になりました。

西山おじさん



畔蛸町(はだこちょう)から元の道辺りまで出るのに相当時間がかかる。くねくねとと曲がっているだけでなく、アップダウンもキツイ。道は狭いところが2m余り。車もあまり通らないらしく、道端にはコケが生えている。



やっと細い道を抜けスペイン村へ。一時経営不信が伝えられたが今は大丈夫か。案内通り行っても入口が見えずに通り過ぎてしまった。もう一度戻ると入口にすんなり行ける。どうなっているのか。道路や正面入口からは駐車場のゲートとジェットコースターの一部しか見えない。遠くからは建物の屋根が少し見えるだけ。開園前で静かなせいでもあるが、これでは道ゆく人に楽しそうな雰囲気があまり伝わらない様な気がする。



賢島(かしこじま)へ行って見る。近鉄特急の終点だが特別な物はなさそう。駅の売店のおばさんに見晴らしの良い場所を尋ねたら、横山が良いと教えてくれた。展望台から英虞湾が一望できるらしい。教えられた道を来たが途中の案内を見落としたようで、横山展望台を通り過ぎてしまった。惜しいことをした。その後浜島を経て五カ所湾から260号線に入り西へ進む。川村瑞賢公園と言う結構広い公園があった。珍しくトイレも東屋もあるが、ここで泊まるには早すぎる。しかしその後はその様な設備は無く、かなり遠いが何とか車で走り慣れた42号線の長島辺りまで行こうと思う。やまを超え、湾をかすめて走る。錦から大紀町へ抜ける道は見上げるような高さまで斜度12%の道が続く。とても上れないので汗だくになりながら30分程押して歩く。上に上がってからは雨になり、しばらく雨宿りしていたので19時ごろようやく長島に着く。長島駅は割合大きな駅で泊まるには不向き。道の駅も近くに有るはずだが探す気力も失せ、タクシーの運転手に安宿を教えて貰って駅前の素泊まり3000円の宿に泊まる事にした。宿のご主人はスーパーの場所など親切に教えてくれた。買い物を済ませて風呂に入る。ああ極楽。買って来たビールがうまかったことは言うまでもない。

走行距離 115km(疲れる訳だ)
支出 4425円



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8/3 鳥羽市畔蛸(あだこ)町

朝9時頃、小辻さんの計らいで玉城町の役場の広報のインタビューを受ける事になった。日本一周の人がこの町に立ち寄る事は滅多にないからと。小辻さんの車の後をついて行くと、役場の前で女性がビデオを撮っている。入るところから始まるようだ。その後数分間ビデオの前で広報の男性のインタビューを受けた。テレビで放映されるかもしれない。この辺りの出身の高校の同窓生が何人かはいるはずなので、もし見てくれれば嬉しいが。

玉城町役場





役場を出る時もビデオが回っていた。
その後東に走り一旦は海岸に出たが、行き止まりで戻ったり、橋まで延々と回ったりでなかなか進まない。ようやく42号線に乗り二見浦。鳥羽からは167号線を走る。

本家?二見浦の夫婦岩






途中真珠の資料館の様なところで養殖の工程など見学。奥様のお土産にどうぞなどと言われ、うっかり買わされそうであった。道沿いに公園やトイレ付きの駐車場など、泊まれそうな場所はない。道の駅(伊勢志摩)まで行こうと地図を確認していると、前方からきた小型トラックからおじさんが声をかけて来た。「どこから来たんや」「風呂へ入っていき」「今晩泊まっていき」半ば強制的に自転車と共に車に載せられ、おじさんの家へ行く事になった。うねうねとした狭い路を走ること約30分。ようやくおじさんの家に着く。鳥羽市畔蛸町。地図で見ると志摩半島のほとんど先端で海は目の前。おじさんこと西山さんは66歳。大坂のペンキ屋さん。100才のお母さんを単身赴任でで看取り、そのあとは大坂の家との間を行ったり来たり。道で旅人を見ると、放っておけない性質らしく、今までなん人も連れて来て泊めたそうだ。「俺はなんでかよう出会うんや」「これもなんかの縁やし」さっそく風呂に入れてもらい、洗濯もさせてもらい。夕食をご馳走になった。トマトは庭で採れた物。こちらへ来る度に庭先で野菜を育て、出来た物は大阪へも持って行くそうだ。

おじさんの家





走行距離 60km
支出 509円




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2010年8月5日木曜日

8/31〜8/1 鈴鹿

鈴鹿の姉の家でのんびり過ごす。娘二人が結婚して近所に住んでいるので、孫達が毎日の様にやって来る賑やかな家だ。


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7/30 鈴鹿

朝は曇り。天気は回復の見込み。今日は鈴鹿峠も越えなので早めに出発する。8号線から1号線に入る。守山市内の歩道は段差が小さくて走りやすい。昨日一日休んだので足が軽い感じがする。国道1号線はもっと手入れがされているかと思ったが路肩の草刈はしてないし歩道にいたっては草が生い茂り自転車がやっとと言う場所もある。



10時半頃道の駅(あいの土山)に着く。しばらくして自転車の所に戻るとスクーターの兄ちゃんが話しかけて来た。彼は大阪からで、これから北海道一周を目指すと言う。彼はすでに西日本を自転車で回っており、大変だったので東日本と北海道はバイクにしたそうである。彼が乗った自転車はビストなのでシングルギヤ。それは大変だった訳だ。私は北海道の事、彼は西日本の事等を一時間くらいも話したあと、お互いの検討を祈り別れた。とても元気で感じの良いお兄さんであった。




その後鈴鹿峠に向かう。険しい事を覚悟していたが、あっけないほど簡単に峠を過ぎてしまった。峠を過ぎると下りである。少し下った所に道の駅が有り、コーヒーなど沸かして休憩。あとは急な坂をどんどん下る。上った分よりはるかに長い距離を下り亀山に着く。反対から上るのでは大変な事だ。国道一号線沿に関宿と言う古い町並みが残る所。ゆっくり見て歩く。大人や子供が玄関から出入りしていて、古い外観のままで生活が続いている様だ。郵便受けなども古い感じを出している。郵便局もむかし風。旅人宿の看板が有る店に入った。古い道具などが展示してある。そこの若い店主。しゃべり方が普通ではない。いろいろ話していると何と、あの礼文島の桃岩荘で2年半ヘルパーとして働いていたそうだ。遠くは慣れた亀山でそんな人に合うとは。
亀山から鈴鹿の姉の家までは20km余り。順調に走り3時頃無事到着。鈴鹿も暑い。

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2010年8月4日水曜日





8/2 伊勢玉城町

姉夫婦に見送られ7時半頃出発し伊勢志摩を目指す。






えりも岬で風雨のため足留めされた時、一緒に泊まったハーレーおじさんが伊勢に住んでいると言うので訪ねて見ようと思う。三重県の四日市、鈴鹿、津、松坂、伊勢は人口が密集したベルトライン。特に津までは道路の両側にショッピングセンターや多くの店が立ち並ぶ。23号線を伊勢の方へ走り、櫛田川から23号線を離れ、川沿いを走る。ハーレーおじさんの家まではiphoneの車モードで15km余り。徒歩モードで11km程なので徒歩モードを頼りに走る。あと2kmと言う所までは順調に来たが、工事中の道路に入り、通行禁止や道なき所を押して歩き、一時はどうなるかと思ったが、何とか民家が有る所に辿り付いた。あまり遅いので、ハーレーおじさんこと小辻さんが外に迎えに出てくれていた。先ほどの所は貯水池工事中と言うことであった。さすがのgoogleの地図も工事中の所は無理か。場所は玉城町。もう一人のBMWおじさんこと中西さんも来てくれて、ひさしぶりの再会となった。





冷たいそうめんなど小辻さんの奥様の手料理を戴きながら思い出話しに花が咲く。バイクと自転車と、手段は違え旅の楽しさは同じ。でもさすがにバイクは行動範囲が広い。写真を見ると自転車では行けない所も沢山回っていて、少し羨ましくもある。小辻さんは6月に定年となり、時間があったので整理したと言う奥さんと二人の旅行写真を見せて頂いたが、ご夫婦の仲の良さが垣間見える。その後、小辻さんに伊勢神宮を案内して戴き、その夜は結局泊めていただく事になった。

伊勢神宮内宮






走行距離 54km
支出 300円

2010年8月1日日曜日

7/29 琵琶湖

もの言わぬ男と同じ東屋で一夜を過ごした。夜中に雨が降り出し、雨が吹き込む。寝ぶくろも濡れてしまった。それに蒸し暑い。寝袋をやめヤッケを着て寝るが、蚊の攻撃もあって長い長い夜だった。男はかなり慣れていると見え、最初から風下のベンチを陣取っているので濡れないであろう。
起きてコーヒーなど準備していると男も起き上がり、ゲームなどやっている。もう一度と思ってコーヒーを差し出し「どうぞ」と言うと小さい声で冷たく「いりません」「遠慮しなくていいよ」「いりません」さすがに私も諦めた。

もの言わぬ男と泊まった東屋




雨が止まないので彼も動かない。どうせ一日中降る予報なのでショッピングセンター(ピエリ守山)で時間をつぶそうと、自転車や荷物はそのままにして出かける。昨日夕食を買いに行った時に、ふと目に止まった(守山市照街者施設共同店舗)の看板。障害を持った人達の作った小物やお菓子の店だ。家内が福祉関係の仕事をしていた関係で少しは影響されているようだ。店の中に入ると、女性がとても良い笑顔で応対してくれた。群馬から出て日本一周終わったらの途中だと言うと素晴らしい事ですと感心し、また数日前ラジオ深夜便で聞いた(母親が語る、障害者の子供がクッキーの店を開くまで)の話をしたら凄く感激してくれた。今日はその番組の情報と母親が書いた本の情報を調べてお渡しした。とても喜んでもらえた。

障害者の店。LAKE SHOP もりやま。女性の顔がハッキリしないのが残念。ケーキはとても美味しかった。



自転者専門店があったので寄ってみると、自分の自転車に付けられそうなスタンドがある。(スタンドはしばらく前に重みに耐えかねて折れた)店主が、自転者を持ってくれば確認しますと言うので自転車を取りに戻ったら、例の男はいなくなっていた。やれやれ。それにしてもあの男は何者?

新しく付いたスタンド。今度はセンタースタンドだ。







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