2010年9月26日日曜日

9/25 さらば屋久島

オーシャンビューキャンプ場はなにもなくて良い所。誰も居ないので裸になって体を拭いた。とてもよい気持ちだ。海は結構波が高い。昨夜も初めは波の音が気になったがそのうち寝てしまった。






キャンプ場の係の人が来てテントを張り始めた。「内地からくる人はいろいろうるさくて大変です。」「この間も男性数人のグループが常設テントのの中に蜘蛛の巣があるとかで騒いでいる時、隣のテントの若い女性が、そんなの当たり前でしょう。それが嫌ならキャンプなんかしなければ良いと一喝してくれて。我々はお客さんにはなかなか言えない事なのでスッとしました。」キャンプ場も大変な時代だ。
山荘をお借りした日高さんから、是非にと言われていた屋久杉の工房へ向かう。空港の近くだから約10km。荷物は全てテントに置いてきたので軽い。工房の名前は岳南。子供を抱いた女性が作品の説明をしてくれた。この工房は屋久杉に必要最小限の加工をして、その木の持つ特徴を生かす様にしているそうだ。同じ木から取ったと言う大皿が3枚並んでいる。一枚は木目の模様が屋久杉の大王杉に似ていると言う。風景画の様に見える物もある。木目の関係なのかホログラムの様に浮き出て見えるし、見る角度によって模様も変わる。不思議である。






これは出来上がりをイメージして28年かけて育てた杉から作った「妖精達」





作者の岳南さんにもお会い出来た。痩せ型で背は高く、骨格のガッチリした方。工房の隣に展示場を兼ねた宿泊設備を作ると言う事で、自分で床材を張っていた。年齢は私より少し上くらいか。さっき説明してくれた子供を抱っこした女性は奥さんである。元お弟子さん(今も?)
急いでキャンプ場に戻り、テントを畳んで荷物を積み、フェリー乗り場に向かう。乗り場の近くで藤田さんにまた出会う。昨日の朝、江藤さんと一緒に鹿児島へ渡ると言っていたが、都合でやめて、さっき江藤さんと分かれたばかりと言う。フェリーの時間は12時半と思っていたら12時。藤田さんにお別れを言って、弁当も買えずに急いで乗り場へ向かい、ようやく間に合った。最後は慌しかったが、いろいろ楽しい思い出も友達も出来た屋久島ともお分かれである。今度また何時か来よう。
船は定刻に出航したが、だんだん揺れが激しくなる。江藤さんも隣に来た。江藤さんや隣のお兄さんと話していたが気持ちが悪くなり横になる。船と並行に横になると楽だ。となりのお兄さんは、今までに300mの山しか登った事が無いのに今回は2泊3日で2000m近い屋久島縦走。それも1人で。天気に恵まれたからよかった物のかなり無謀なチャレンジである。波が高かったせいか鹿児島に着くのが20分くらい遅れた。隣のお兄さん、16時に着く予定だったので、16時半の高速バスを予約していると言う。焦っていたが間に合ったかな?5日振りに鹿児島に戻ったが、沖縄行きフェリーは18時。ドルフィンポートでぶらぶらしたかったが時間は無い。2km程離れた沖縄行きフェリー乗り場に向かう。17時半、沖縄行きのフェリーに乗り込む。いよいよ沖縄だ。26時間の長旅である。
走行距離 20km
支出 22490円


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9/24 林道猿の襲撃?

藤田さんの家
夜中二時ごろ江藤さんが出かけて行った。たぶん海中温泉だと藤田さん。帰って来たのは知らなかった。その江藤さん6時ごろ起き出し、今日はタッチュウ岳に登山するのでその前に机の傾きを直しておくと言って、丸のこで合版を切り出した。えっ、こんな朝早くから!近所からクレームがこないか。
江藤さんが山登りするので元の事務所にあるカッパが必要と、藤田さんと一緒に出かけて行った。しばらくブログを書いていたが、携帯は通じないのでメールは送れず。10時ごろ戸締りをして出発。もちろん鍵なんぞはかけない。
今日は屋久島を時計回りに回って元の宮之浦港に戻る予定。
しばらく行くと大川の滝。日本の滝100選の一つだそうだ。大きな岩壁を流れるのはすごい。滝壺のすぐそばまで行けるのでしぶきがまともにかかって大迫力。









滝のあとは20kmほど林道となる。初めは広いがだんだん細くなり、車一台がやっとのところも有る。最初の上りがきつくて長い。道が細くなると同時に、両側から木が覆いかぶさり薄暗くなる。ライト点灯の看板があるくらい。猿や鹿が道路の外や路肩でうろうろしている。別段怖がる風は無い。坂がきついのでかまっている余裕は無い。ようやく長い坂を超えたのでこれで終わりかと思ったがその後も何度も小さな峠。気持ち良く坂を下っていると女性2人組が歩いていて声をかけて来たので止まるとやっぱりおばちゃん。例によってどこから来たのどこへ行くのと訊かれる。男はいいわねーこう言う事が出来るから。と1人の人。一緒に写真を撮って分かれて先へ。こんな所歩いていて危ないなと思ったら、そうではなく、タクシーで観光して居る途中で、この辺りの林道は気持ちがよいので少し歩いて見たらと言われて歩いていたのだそうだ。間もなくタクシーが停まっていた。しばらく走るとさっきのタクシーが追い越して行って、おばちゃんたちが手を振ってくれた。景色のよい所でガードレールに自転車ごともたれて写真を撮っていたら、いつの間にか大きな猿がすぐ側まで来ており、こちらに向かって走って来るではないか。慌てて走り、何とか逃げ切った。危ないところであった。ようやく林道を過ぎて永田の町につくが、ここでも携帯は不通。この辺りの海岸はニホンでも有数のウミガメの産卵場所らしい。









それから10km。宮之浦港についたのは17時半ごろ。今日は宿がよいと思い観光案内所へ行ったら連休なのでたぶんどこも一杯。えーっ、連休中なんだ。金曜だから大丈夫と思ったのに。自分で探してと言われリストを貰い電話をかけてみるがやはり空いて居る所は無い。すぐ前に手頃な公園があるがキャンプ禁止に立て札が。屋久島はどこも公園には泊まれないのだ。きびしい。仕方がないのですこし先のキャンプ場を目指す。ようやくキャンプ場へ来たが観光センターの許可がいると言う。入り口あたりにテントが一つ。電話をかけるとなんと、さっきの観光案内所まで申し込みに来いと言う。こんな所まで見回りに来る訳も無いと思ったが、安心して寝るためにはと荷物を置いてまた逆戻り。料金は800円。案の定他に今日申し込んだ人はいない。それから買い物して戻るとすっかり暗い。幸い月が出ているので支障はないが。波打ち際に近く、波が高いので音がうるさい。

走行距離 73km
支出 800円


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9/23 平内海中温泉

夜中に雨。止んだと思ったらまた雨音で目が覚めた。朝方にはかなり強い降り。今日は出発できないかなと思っていたが、その後は降らず。雲は多いものの朝日が見え隠れ。様子を見て出発しよう。雨の心配もなくなったので10時ごろ、隣の山荘で長期滞在している御夫婦に送られて出発した。日高さんの家に寄り、御礼を言う。ふくれ菓子をまた頂く。日高さんも、徒歩で日本縦断をして、あの植村直樹さんの記録に挑戦すると言う夢があるそうな。是非挑戦して欲しいと思う。有難うございました。






引越しの藤田さんに縄文杉に会ってきた事と、今朝出発しますと電話したら、まだ引越しの最中らしい。みんなでお昼をと言う事になり、この先の平内海中温泉近くの店で待ち合わせの約束。時間があるので海中温泉に行って見たらと言われ行って見た。ちょうど引き潮の時間らしい。磯の穴に少し石を積み上げただけの浴槽。満潮のときは海の中。パイプで温泉が引いて有り、引き潮になってしばらくすると適温になるらしい。仕切りも脱衣所も何にもなし。もちろん混浴だが、さすがにこの時間は女性はいない。100円を入口の箱に入れる。全くの露天なのでちょいと恥ずかしいが、入ってみると何とも言えぬ解放感。





上がり湯も水もない。元湯が溜まっている所から湯をくんで体かけて上がるだけ。これで上等である。それらしきレストランに来たが携帯が通じないので確認も出来ず。入ってみると予約されていた。集まったのは藤田さん、一昨日一緒にやった大島さん、藤田さんの新居に入って居たと言う女性と、さらに福岡から軽トラックで手伝いに来たと言う江藤さんと言う男性。藤田さんとこの男性は何かのサークルのメンバーらしい。ホームページを見たがよく分からない。食事が済んだのはもう午后2時過ぎ。今から走っても大して走れない。引越しの手伝いをして今夜は藤田さんの新居に泊めてもらう事になった。江藤さんという男性も泊まる様だ。今度は大島さん、江東さんと家具のセット。それまで運んだ家具や荷物が所狭しと置いてある。何せ古い作り。適当にと言われても机なぞは置き場所に困る。それでも何とか収まり。江藤さんさんは持って来た丸のこで板を切り、タンスなどに傾き調整。







大物はだいたい片付いたので今日の仕事は終わり。江東さん二人で軽トラに乗って近くの温泉に。ここは昼の海中温泉に毛が生えた程度。通路に申し訳程度の囲いがあり、男女別だが浴槽は一つ。真ん中に6〜70cmの高さの仕切りがあるのみ。屋根も壁もなく完全な露天風呂。立てばお互いに丸見えだ。脱衣所も洗い場もない。女性も何人か入っていて、声からすると若そうだが、マトモに見る訳にもいかず。変な物で、見えないときには覗こうとするのに、見えると分かると却って目をそらしてしまう。江藤さんと適当に体を流して出て来た。隣に大きな石を隔てて足湯が有り、そちらにも若い女性がいて、こっちが立ち上がって脱いだり着たりしているのは丸見えだ。
藤田さんの家に帰って三人で夕食。江藤さんがスパゲッティを茹でて調理した。ガーリックが効いていておいしい。それと昨日煮たと言う鹿肉。これも脂肪が少なくてさっぱりした味。
あたしはこっちでと藤田さんは隣のタンスをいっぱい並べた小さな部屋へ、私と江藤さんが広い所を占領して寝る事になった。知らない物同士が同じ屋根の下で寝ている訳だが、テントで1人寝るよりは安心できる。
走行距離 12km
支出 1000円


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8/22 縄文杉に会う

4時起床、5時3分のバスに乗り登山口へ。途中でシャトルバスに乗り替え登山口へ。シャトルバスは満員である。登山口にはすでに大勢の人。6時25分頃出発。久し振りの登山だ。ガイドどを伴ったグループはそれぞれ説明を聞いたり、準備体操をしている。しばらくの間はトロッコの線路の上を歩く。枕木の間隔が不揃いで地面より少し高いので、歩幅を合わせながら歩くのは大変だ。まわりの景色が気になるが、足元からも目が離せない。天気が良いが殆どが日陰なので、涼しい。しばらく歩くと小杉谷小学校跡。屋久杉の切り出しで大勢の人がここに住んでいたのだ。山深くなるに連れ線路脇の木は大きくなり、太い木の切り株が目立つようになる。途中から枕木の間に板を敷いてあり、とても歩きやすくなった。ずっと上りだが殆ど傾斜を感じない程度である。深い森の中の線路をもくもく歩く。約2時間、 線路道が終わって山道の登りに入る。ここにはトイレも水もある。水は沢の水だろうが、とても美味しい。日高さんによると、この山の水は殆ど飲む事ができるらしい。これからしばらく登るとウイルソン株。巨大な切り株だ。中が空洞になっており、ひとなら20人でも楽にはいれそう。上がぽっかり見えており、隅の一点から見上げると、この穴がハート形に見えるらしい。覗いて見た。確かにそうだ。さらに登ると翁杉。これは縄文杉に次いで大きな木だが、残念ながら今年倒れてしまった。バスで一緒だった青年は、この木の弔いに来たと言う。倒れた木の前で手を合わせている。私も一緒に手を合わせた。屋久杉は倒れた木の上に新しい苗木がそだち、それが何百年もかけてまた大きな木に成長して行くのだ。途中、日高さんの息子さんが私を見つけて声をかけて来た。彼もガイドで今日は2人の年配の客を案内しているようだ。母からですとふくれ菓子(蒸しパン)を手渡してくれた。有難い。縄文杉に登る事は伝えてあったのでわざわざ持たせてくれたのだ。バスの青年が早いので負けずについて行く。彼の予想通り、ウイルソン株から一時間足らず午前10時に縄文杉に到着。木を守るため展望デッキがつくられており、それ以上近付く事は出来ないが、大迫力である。他の大木と違い、木の周りが開けているので、なおさら堂々として見える。7000年とも言われるが、最新の技術で行った結果は、少なくとも樹齢2160年。内部はやはり空洞があるので、それ以上は測定不能だそうだ。






ひとしきり青年と写真を撮ったあと、彼は急ぐからと先に降りて行った。1人で少し先にあると言う休憩広場に向かう。100mあまり行った所に小屋と、その前が開けた場所があった。昼には早いがコーヒーを沸かし頂いた膨れ菓子を食べる。手作りだろう、しっとりした上品な味。さらに昨日から買って置いたおにぎり、パンも。我ながらよく食べる。食べていると鹿がでて来た。餌を与える心ない人もいるのだろうか、全く人を怖がる様子はない。本土や北海道のよりはかなり小型である。







帰りは登りの人が大勢来るので道を譲るため、なかなか思う様には降りられない。線路道まで来ると大勢休憩している。それ程疲れは感じないのでそのまま歩く。朝と同じ様に木漏れ日の中を歩くが、やはり朝とは光が違う。朝の方が柔らかい。14時40分頃登り口に到着。バスに乗って自然館前に15時40分。しかしこのあと山荘方面に行くバスは17時11分。少しの差で前のバスに乗り遅れた様だ。今回は山登りの装備は持ってなかったので靴はいつもペダルを踏んでるスニーカー。それは良いとしてもザックがない。借りるのは簡単だが、ある物で何とか工夫するのも楽しい。自転車のフロントバッグの金具を取り払い、ショルダーバッグのベルトを取っ手に通して両脇に縛り付けると、この通り。即席ザックの出来上がり。多少背中に違和感があるが、十分間に合った。








ようやく来たバスに乗って山荘に戻ったのは18時頃。隣の山荘に滞在しているご夫婦が出て来て「あっ、登って来たんですか」しばらく話をして、夕食と明日の朝食の買い出しに出た。
走行距離 13km
支出 3675円


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9/21 モッチョムが見える 山荘

4時ごろ目が覚め、何げなく窓の外を見ると凄く星がきれい。外に出てみるとオリオン座が正面に見える。冬の星座だ。すぐそばのシリウスがギラギラと輝いている。この時期でこれだから冬はさぞかしであろう、是非見たいものだ。朝日が出てくると裏に聳える山が素晴らしい。モッチョムというらしい。







日高さんの薦めもあって(千尋の滝)に行く事にした。道は良いが急なので自転車は無理らしい。約3km。車やバスがスイスイと追い抜いて行く。滝は今までみた滝とはぜんぜん違う。落差はそれほど大きくはなさそうだが
周囲が開けたV字谷の底から、水が流れ落ちる景色は雄大である。






滝入り口に軽のワンボックスでジュースを売っている。さとうきびジュースとあるので迷わず注文した。さとうきびの茎を機械に入れて絞る。まさに絞りたて。酸化しやすのだそうだ。味の調整に氷を少し入れてくれた。おいしいがかなり甘い。むかしかじった、とうもろこしの茎の香りがする。10年ほど前にタイで初めて飲んだスッキリした甘さとはまた違う甘さである。さとうきびも種類がたくさんあるとのこと。屋久島でさとうきびジュースを飲ませるのはここだけだそうだ。と言うか、このおじさんがジュースにするためにだけ栽培した物だという。
山荘に戻る途中で昼食を買いにコンビニへ歩いて行く事にした。かなり距離があるので自転車で行きたいところだが、山荘はかなり高いところに有り、そこまで自転者を取りに戻り、さらに買い物してから押して上るのは大仕事。昨夜も汗だくだった。
コンビニと言ってもローカルなもの。おにぎりも弁当も売り切れらしく何もなし。仕方なくパンをいくつか買って戻る。途中珈琲の看板が。何か食べ物が有るかもしれないと入って見た。およそ店らしくない作りで、真ん中のテーブルはおばちゃん3人が陣取っている。店主らしき人が奥のテーブルからパソコンを片付けて席を作るようだ。おばちゃんの一人がここへどうぞと席を開けてくれたので、そこへ座る。どう見ても食べ物はなさそうなのでコーヒーを注文する。なんと保温ポットで出て来た。一杯ついでもまだ沢山有る。おばちゃん達しばらくお互いに喋っているだけだったが、その内こちらに興味が出てきた様で、どこから来たとかどこへ行くとか訊いてきた。小一時間ほど話していて、みなさん帰ると言うので私も帰ろうとして、支払いをと思ったら、一番年上らしいおばちゃんが纏めて払ってくれた。コーヒーは250円。3杯分もあって驚きの安さ。一緒に歩いているうちに一番年上のおばちゃんが他の二人に「ご飯食べてないでしょう。インスタントしかないけどうちに寄って食べて行けば」と言っている。メガネをかけた人が「じゃーあんたも一緒にどうですか」と言ってきた。特に依存は無いので一緒に付いて行った。
おばちゃんの家は、私が借りている山荘の上り口だ。大きな家に一人暮らしだそうだ。ラーメンと、一人分多く作ってしまったうどんも頂いた。
そのうちもう一人かなり若い人が現れた。先ほど珈琲屋で席を勧めてくれたメガネのおばちゃんが私に「今日は時間有りませんか?ボランティアしませんか?晩ごはん後馳走しますよ」と言う。この人藤田さんは今引越しの最中らしい。あとからきた女性大島さんは引越しの手伝いに呼ばれた人。結局私も引越しに手伝いをすることになり、車に乗せられる。
右からこの家の主、日高さん高山さん藤田さん大島さん。






途中もう一人の人、高山さんの家に寄る。すごく広い敷地。訊くと1500坪。敷地内を川が流れており対岸にバナナの木、ニワトリのケージなどがある。海岸寄りの土地が売りに出たとき、他の人に買われて家を建てられたらせっかくの見晴らしが台無しになるので、売れる前に買い取ったとか。家は御主人が建てた、と言うかよく見るとあちこちが未完成。御本人はもう完成したつもりでいるらしいとの事。藤田さんの家に行き、大島さんと軽自動車に荷物を詰め込み、次の家とを何度か往復。今の家は相当のボロ。壁も押入れも隙間だらけ。壁と屋根の間から空が見えるくらいの隙間。敷居も鴨居も減り、引き戸はまともに動かない。驚いた事にこんな家でも次の借り手がもういるらしい。今度の家も相当な古さだが前よりは少しましか。それでも廊下は床が抜けてブカブカ。建具の立て付けは悪い。以前豆腐屋をやっていたと言う事で五右衛門風呂のような大きな鍋とかまどが有り、横には大きな物置も有る。ここを借りていた人は町営住宅が当たったらしい。屋久島は家を借りたいと言う人が多いので、古い家でも結構借り手がつくらしい。5時すぎ、適当な所で切り上げる。大きな家具は明日福岡から軽トラックで手伝いにくる人がいるらしい。その日は藤田さんにYーVITAという店で夕食をごちそうになったが、この店のまだ若いご夫婦が藤田さんのあとのボロ家に入るとのこと。帰りは4km程の道のりを歩いて帰った。藤田さんの家は1km程。そこからは独りで。幸い月明かりであったが、山荘に上がる坂道は真っ暗。100均のライト付きキーホルダーが役にたった。
走行距離 0km
支出 1333円

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9/20 屋久島 美人外国人

7時の屋久島行きフェリーに乗る。一日一便なので不便だ。昨夜はドルフィンポート前の公園だったが蒸し暑いのと、いつまでも人声がするので寝苦しい夜だった。自転車はフェリー一番乗り。まずコンセントの有る場所を陣取った。隣に来た二人連れ。一人は学生でもう一人は社会人。昨夜は同じカプセルホテルで泊まってと言う間柄。
若い方は福岡の大倉さん21歳、もう一人は東京の松永さん37歳。それぞれ前準備をして屋久島を目指している。私が何も下調べしてないのでいろいろ教えて貰った。
松永さんデッキへ行ったっきりずーっと戻って来ないので出てみると、美人の外国人と一生懸命話をしている。因みに松永さんは独身。英語が達者なんだなとそばに行くと、日本語。彼曰く、彼の英語より彼女の日本語の方がずっとレベルが高いのだそうだ。彼女はアメリカのジョージア州出身。ジョージアの歌が有りますねというと、彼女、レイ・チャールズの(我が心のジョージア?)を歌い出した。邪魔しては悪いので草々に退散した。ブログに載せるから3人で写真をと思ったが松永さんがデッキから戻って来ない。仕方がないので大倉さんを誘ってデッキへ行き、Bonnieさんと言うアメリカ人女性も一緒に撮った写真がこれです。右から松永さんBonnieさん大倉さん。







屋久島が見えて来た。







屋久島に着いてから4人で昼飯を食べた。松永さんはBonnieさんと喋ってばかり。食事後それぞれ自分の方向へ。Bonnieさんはあいにく松永さんとは行き先が違うようだ。
夕方までに宮崎さんに紹介された日高さんを訪ねればよい。日高さんの家まで約30km、ラクチンと思ったが上り下りばかりで有る。それに蒸し暑い。そう甘くはない。立ち寄った屋久杉工芸品の店の人、お母さんの実家が群馬だという。当たり前だが、群馬の人も全国に散らばっている。安房で雨が降って来たので雨宿り。路面がずいぶん濡れているのでそれまでかなり降っていたようだ。自転車できたと思われる若い女性がいる。訊くと途中で突然降って来てすっかり濡れてしまったそうだ。時間はまだあるので屋久杉記念館に行って見る事にする。案内によると右に曲がって3km。走り始めたらかなりの上り坂がずっと続く。通りかかった車から「がんばれ」言う声が聞こえた。汗だくになってようやく到着。屋久島の自然や屋久杉の生い立ちなどを詳しく紹介している。屋久杉は小割りしやすく油分を多く含むので屋根葺き用に珍重され、年貢の代わりにも納められたようだ。米一俵に相当するのが10cmx35cm位で厚さが7mm位に割った板2500枚だったそうだ。屋久杉と他の木のブロックが置いて有り、重さを比べる。軽い。どの木よりも軽いのである。年輪が詰まっているに不思議な事だ。屋久杉自然館からの下りは気持ち良かったが、元の道に戻ってまた上り下り。教えられた場所にたどり着くと、息子さんが出迎えに来てくれていた。今日の宿は日高さん所有の山荘だ。一軒丸ごとお借りできる。すごく贅沢な事。
前には海が横たわり、後ろには山が聳える素晴らしい所。
夜は日高さんに御夫婦と息子さんとで居酒屋に連れて行っていただき、地元ならでは料理を沢山ご馳走になった。日高さんも息子さんも屋久島登山のガイドをされている。日高さんは最近ガイドがどんどん増えているが、いざと言う時に適正な対応ができる技術を持つガイドは非常に少ないと憂いていた。

走行距離 36km
支出 5650円
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2010年9月20日月曜日

9/19 鹿児島

道の駅たるみず。端っこの方なので気兼ねなくテントを乾かしたり、ブログを書いたり。駐車場の車の後でテーブルをはさんで食事中の夫婦、何処かで見た事がある。訊いてみると同じ頃北海道を回っていたと言う事なので、何処かの道の駅か観光地で会ったのであろう。
携帯が圏外で通じない。昨日一時的に通じたがその後は全くダメである。桜島まで行けば大丈夫であろうか。iphoneで文章を書いてる途中でホームに戻ってしまうトラブルは無くなったが、書いている時に自動シャットオフになると、書きかけの文章が無くなってしまう時がある。その都度保存しする様にしているが、忘れた頃起きる。がっかりだ。
この道の駅には流木やら大きな軽石が100円200円で売られているが、夜になってもそのまんまである。草花もしかり。かってに持って行くような人はいないのか。テントを張った場所は人が来ないところなのでのんびりし、10時ごろ出発。昨日の道を戻って桜島へ。なんと道は狭く歩道が無い。広かったのは入り口だけ。景色は抜群。路肩に止まりパチリ。自転車ならではだ。桜島にはたくさん人が住んで居て、小学校も中学校もある事を初めて知った。時々シェルターがあるのが活火山らしい。
鹿児島側から見ると全然違った山に見える。ヤマ肌がごつごつしていていかにも火山と言う感じ。鹿児島行きのフェリーに乗る。250円。チケットも何もなし。乗船時間は僅か15分。今までで一番慌しい船旅だ。鹿児島に着く。屋久島行きのフェリー乗り場の方へ行くと、正面に桜島が見える公園の広場でイベントの真っ最中。






前がドルフィンポートと言う食堂や雑貨店が軒を連ねた場所で大勢の人。なんだか今までの町と雰囲気が違う。強い日射しと街路樹のせいもあるが、東南アジアのような雰囲気である。人々の顔つきも違う。
屋久島行きフェリーは一日一便しかない。それも朝7時。時間がたっぷりあるので自転車を置いて歩き回る。ドルフィンポートは2階建。食べ物屋がメインであとは雑貨店、土産物店などがアーチ状に並ぶ。久し振りにラーメンとぎょうざとビールで夕食を済ませ、さっき目をつけておいた公園の東屋に行ったら、誰か寝ている。ま、いいか。場所は他にも沢山ありそうだし。まだ8時。寝るには早いので町の賑やかそうな所へ行ってみる。さすが鹿児島は大きな街。人が沢山歩いている。
天文館通りに来た。ここはあかるくて賑やかな商店街。食べ物の店が多いがそれ以外の店も沢山。さらに奥や裏通りに行くと、うす暗くなって殆どが飲み屋。1時間あまり歩き回って高遠に戻り、さあどうするか。この公園はどうもデートスポットのようである。あちこちにカップルの影が見える。仕方無いのでイベント会場近くの大きなテントの下にテントを張る事にした。

走行距離 25km
支出 561円
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2010年9月19日日曜日

9/18 垂水市

道の駅すみよし
屋根付きの自転車で置き場まであって、通路にも屋根がある。通路の一番奥にテントを張って寝た。車の音はうるさかったが耳栓である程度抑えらてる。それに慣れた。携帯の充電は多目的トイレにコンセントがあったので、少しだけ電気を戴いた。洗濯もそこで澄ます。非常にありがたい設備だ。結局出発は8時ごろになった。10号線をそのまま行くと霧島に行ってしまうので南に向かう事にした。道の駅から県道を南下し国道269に入り、南下する。ここもやっぱりアップダウンの繰り返し。なかなか平坦な道路は無い。途中に休憩所も何も無いのでバス停で昨日買っておいたパンとコーラで昼食。あまり体に良いメニューではない。鹿屋市から220号線に入り、垂水市を目指す。海岸に近いのになかなか桜島が見えて来ない。垂水市の少し手前で220号線は大きくカーブして海岸に落ちるように下る。桜島らしき山がちらっと見える。海岸線に出たが建物や街路樹が邪魔してよく見えない。道路を外れて堤防まで行くと、見えました。間違いなく桜島。すこし霞んではいるが、煙を吐いているのが良くわかる。






垂水の中心街まではまだ20km以上先。道の駅垂水はさらに先だ。今朝は涼しかったが、日中はまだまだ日射しがキツイ。久し振りにジリジリする。コンビニに寄ってアイスを買って裏に回り、桜島を眺めながら食べる。思えば遠くへ来たもんだ。ようやく桜島の根元。桜島方面と霧島方面の分かれ道。道の駅に行くので霧島方面へと思ったが、道路には自転車や歩行者が右折や左折する配慮が全くされて無い。横断歩道も何も無い。仕方なく車の切れ目を待って段差を乗り越え急いで反対車線へ。全くどうなってんだ。少し走ると大きな白い橋。道の駅まで3kmと有る。あれっ、さっきの表示では分かれた所から2kmと表示していたはずだが。やっと道の駅につくともう癖になっている泊場所のチェック。桜島側の端っこに芝生があって桜島がよく見える絶好の場所がある。この道の駅には温泉もある。足湯もある。






なかなか良い所。売店などをひと回りしてから温泉に入った。料金は330円と安い。なんとかジェットなどは余計な物は無い。あるのはサウナとスチームバス。露天風呂からは桜島が正面に見える。温泉の建物が他の建物に比べて少し向きが違うのは露天風呂からの眺めを考えての事であろう。直売所で巻きずしの弁当を買ったがビールがない。今日も贅沢にレストランで夕食にした。弁当は明日の朝飯にしよう。うす暗くなったが幸い灯りが近い。テントを張るのはもう何回目か。目をつぶっていても張れそうである。






走行距離 85km
支出 1946円

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9/17 鹿児島県

朝早くから物音がする。そう言えば昨日、ふれあい市に出す餅をつくと言っていた。起きてみると、おじさん夫婦と娘さん夫婦で忙しそうに作業している。おじさんは既につき上がって丸めた餅をポリ袋につめている。娘さん夫婦とおばさんはそばを切り、茹で上げている。7時頃、娘さん夫婦はそれらを車に積んで持って行った。直売所などで売られている物は、みんなこの様にして各個人の家で作られているのだ。
朝食を戴き、おじさん夫婦と記念撮影をして出発した。大変お世話になりました。おじさんはビールを飲まないのにわざわざ買って来てくれました。初めて食べた鶏のたたきもおいしかった。






おじさんの勧めで223号線を霧島の方へ向かう。おじさん夫婦も同じ方向の御池へ栗拾いに行くと言う。ひと足先にでかけたが、途中のコンビニに寄っている間に追い越された様である。上りなので7km程の道を一時間ほどかけて上った。途中霧島が良く見える。コスモスも咲き出した。いよいよ秋である。






御池に着いたが、おじさん達は林道にでも入ったのか見当たらない。ここから先は木が両側から生い茂り、天気が良いのに夕方のようである。涼しくて良い。かなり上ったら待望の下り。わずかに木漏れ陽がさす中を下るのは涼しくて爽快の極み。しばらく下ると分かれ道。右は上りで霧島市へ。左は下りで都城市へ。霧島へ行く方が鹿児島湾に近いのは判っているが、もう上るのは嫌なので左へ。少し下るとコーヒー店ののぼりがある。田んぼの前にぽつんとあり、普通の家の様。入ってみると客はいない。大きな窓から霧島が良く見える。ママさんは50代後半くらいか、きれいな方。コーヒー戴きながら日本一周の話をするとひどく感心してくれた。いろいろ話しているうち、ここまで来たのなら高千穂牧場へ言って来なくてはと言う。さっきの分かれ道を少し上ったところだと言う。荷物を置かせてもらって行って見る事にした。
牧場からみる霧島は素晴らしい眺め。これを見落とす所であった。コーヒーショップのママさんに感謝。






その後はコーヒーショップに戻り、カレーライスを食べて店をおいとました。ママさんがドアの所で手をふって見送ってくれた。
都城まではだいたい下りだが25km程。さっきのママさんの話しでは、息子さんは高校性の時にこの道を毎日通ったそうだ。
これは重労働である。行きは良いが帰りは上りで大変である。帰りは途中まで軽トラで迎えに行く事が多かったと言う事だがよく続いたものだ。部活はやらずビッキョ部だったそうだ。ビッキョはカエル。いわゆる帰宅部である。
都城市に入った所でまた10号線に入り、鹿児島方向に行くが、この道は湾の手前で霧島へ向かって北上する事に気づき道の駅からルートを変更する事にした。今日は道の駅すみよし。泊まるには良い場所がありそうだ。

走行距離 52km
支出 2383円


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9/16 高原町

昨夜は10号線に続く有料道路のSAでした。

SAの歩道橋から宮崎市方面を望む。右はシーガイヤの高層ビル






本当はもうすこし走るつもりだったが、カフェのおにいさんが、その自動販売機の部屋でよく、旅の人が寝てますよ。の一言でここに泊まることにしたのだ。ちょっと奮発してカフェで夕食。タコライスとビール。タコライスは調理らしい事はあまりしてなくて、野菜とサルサソースとチーズをご飯に乗せただけ。でもとても美味しい。野菜が沢山あるのが嬉しい。






カフェが閉店になると自販機の部屋の明かりは消されたが、自販機の照明でかなり明るい。それまであったテーブルとイスも片付けられてしまった。そう言えば外に有るテーブルとイスは地面にしっかり固定されている。盗まれるのか?こじんまりしたやつなのでワンボックスかーならカンタンに持ち出せるだろう。其れにしてもなさけない。部屋の裏側にすこしボロいベンチがあったので其れを中にいれて座り、ブログの更新。あとはテントを張って寝た。夜中に人が入って来るだろうし、そのまま寝るのはちょっと嫌なので。部屋は自販機の熱で結構暑い。
朝は残り物のパンとインスタントスープで朝食と思ったが、ネコが餌をねだってしょうがない。腹を空かせたネコの前で食べるのも嫌なのでしばらく走り、海岸の防波堤の側で食べたが、なんと、またネコの声。見ると海岸からこちらを見上げて鳴いているではないか。まさか同じネコではないが、四国も九州もにゃんとノラ猫の多い所。
朝方降っていた雨も上がって晴れて来たのは嬉しい。宮崎市までは間もなくである。
朝、家内から、高原町のおじさんち大丈夫だよとメールがあった。高原町は家内の母親の実家だ。宮崎から海岸線を大きくそれて、高原町を目指す。都城市の北にあたる所。文字通り高い所。調べると町の標高は200mくらい。宮崎市街からすこし離れると徐々に上りに。距離は50km弱程度。幸いそれほどきつい上りでは無いのでわりあい順調に進む。
途中の道端に彼岸花が咲き始めた。季節の変わり目を実感する。10号線と分かれて268号線へ。ここから本格的に上り。上は高台のようになっており割合平坦で人家も沢山ある。休むところが無いので、廃業したスタンドの屋根の下で昼食。野尻湖の側に(のじりこぴあ)と言うリゾート設備がある。レストランや売店付近は少し客がいるが他の場所にはいない。平日だからこんなものか。野尻湖を見ようとしたが、ずっと下がった所のようなのでやめた。山の谷にある湖らしい。高原町は野尻湖をすこし過ぎた辺りで左に入り、さらに9km程上ったり下ったり。ようやく高原町に入る。iphoneの示す辺りに来たがよく分からない。電話すると迎えに行くと言う。番地の入力が違っていたようだ。おじさんの軽トラの後をついては2-3km。ようやく到着。なんとなく見覚えのあるところ。30年以上前に来た事を思い出した。
むこうに霧島がみえる。





走行距離 67km
支出 2290円


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9//15 宮崎へ

道の駅 北川はゆま。 はゆまとは駅馬(早馬)のこと。飛鳥時代、通信、情報の中継ぎ所があったらしい。馬はそんなに長距離は走れないので、およそ16km毎に駅があったと言う。駅には交代の馬とそれを世話する人が住んでいたと言う。早めに起きたので、7時頃出発した。









延岡までは15kmあまり。ほとんど下りなので楽ちんである。延岡からもほぼ平坦でありがたい。道の駅日向で早めの昼食を摂っていたら、昨日日向まで行くと言って居た二人組チャリだーがやって来た。今朝はずいぶんゆっくり出発したようだ。日向の道の駅を出てしばらく走るとぽつりぽつり。30分ほどするととうとう雨。たいした降りではないのでヤッケを着て走る。少し濡れた方が気持ちが良い位だ。道は歩道がずっとあるので割合走りやすい。宮崎市までは行きたいが、日向から約50km。微妙なところだ。
ととろ と言う駅があったので寄って見た。小さな可愛い駅である。










小雨の中、国道10号線を無心に走る。安全のためずっと歩道だ。分岐点でも自転車や歩行者のための横断歩道があり、よく考えらてている。高架になっているところにも歩道がありありがたい。やがて有料道路になる。困ったなと思ったが、自転車でも通れるようだ。10円を箱に入れる。多少草が茂っているが快適である。









宮崎市の5km程手前にサービスエリアで休憩。大きな自動販売機の部屋があるので、ここは泊まれるなと思う。隣のレストランのおにいさんがいて、時々ここで泊まってる人いますよ、と言う。それでは私もここで泊まろう。雨もやまない事だし。そう決めると気が楽である。

走行距離 93km
支出 2278円

2010年9月15日水曜日

9/13 津久見市

臼杵城跡公園。東屋のヨコにイチョウの木が有り、夜中に時々葉や実や小枝が屋根の上に落ちてカサコソ、ゴトンと音をたてる。知らなければ気味が悪いところだ。風がなくなりテントの中は蒸し暑い。夜半から雨が降ってきた。朝には止んだので良かったが曇り空。コーヒーとパンの朝食を摂っているとネコが集まって来る。宗谷岬のネコのようにずうずうしくはない。そう言えば昨夜遅くネコに餌をやりにきた男がいた。困ったものだ。その内お爺ちゃんお婆ちゃんが続々やってきて、広場の掃除や草取りを始めた。急いで荷物をまとめ出発。

道端に立派な三重の塔











ここ臼杵はかなり歴史のある町のようだ。国宝石仏4km先と表示が有り、その後も次々と石仏の案内板が続くので、特に仏像に関心がある訳ではないが、行ってみることにした。石仏一つに拝観料530円はすこし高いのではないか。と思ったが、一つではない。数体の仏像群が凝灰岩の山肌の何ヶ所にも彫ってある。石が柔らかいそうで、顔の一部や手が欠けてしまっているのも多い。今以上に傷まないように様々な防護処置がなされているようだ。知らなかったが、有名な石仏なのだそうだ。










三重県からわざわざこの石仏を見に来た人がいた。天気が怪しいので石仏は早めに切り上げ、国道217号を南へ走る。しばらく急な上りのあと、トンネルが続く。雨が降って来たので途中のミカン直売所のテントに飛び込む。幸い店は休みだ。さらに走り、今度はローソンの軒下で雨宿り。スーパー前のうどん屋で昼食。スーパーでうろうろしていると本格的に降ってきた。しばらく待ったが止みそうもない。すぐ横に公園があるのでチェックしようと思い、100円ショップで傘を買う。傘も100円だ。外に出ると雨は止んでいる。公園はよく手入れされていてきれいだ。あまり良く管理されていると却って泊まりにくいが、とにかく今日はここに泊まる事にする。時間があるので市内を歩き回る。市とは言っても市街地は小さい。やたら飲み屋と料理屋が目立つ町だ。夜遅くまで散歩やウオーキングする人が多いので、朝も早くから大勢人が来る事が予想されるので公園内ではなく駐車場に泊まることにした。ここは裏口なので車は来ないようだ。

つくみん公園








走行距離 19km
支出 2729円
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2010年9月13日月曜日

9/12 八幡浜からフェリーで九州へ

昨夜は沢山洗濯したが、風が無かったのであまり乾いていない。朝日が出てあらかた乾くのを待っていたら出発が9時になってしまった。






56号を走るが相変わらず平な道は少ない。湿度が高いのかむし暑い。すぐに汗が流れる。宇和島から高架となり、自転車は締め出し。やむなく海岸沿いの県道274号へ。これも細くて曲がりくねった坂道。ミカン畑が多い 吉田港辺りからまた56号に合流。この辺りの湾内にブイがたくさん並び何かの養殖をしている。店の人に訊くとあこや貝だと言う。宇和島と言えばミカンしか知らないが真珠の養殖もやっていたのだ。しかし、生産量はピーク時の10分の一以下だと言う。赤字だが漁業権確保のため仕方なくやっているとも。56号は上りとなり、トンネルが10本連続する。トンネル入り口に反射たすきが置いて有り、通る歩行者や自転車に着用を促している。事故が多いということか?






トンネルは100mから200m位で短いが急な上りだ。最後の方は6%の表示がある。スピードが出ないのでフラフラして危ない。最後は緩やかだが1.6kmと長い。ようやく通り抜け西予市に入る。途中から56号を離れ八幡浜方面へ曲がる。4時半頃八幡浜のフェリー乗り場に到着。便数は多く、最後は23時過ぎまである。5時40分臼杵行きに乗る。





20時に臼杵に到着。船内で少し仮眠が取れたので少し疲れが取れたようだ。知らない町で西も東も分からない。フェリー乗り場で観光案内図を手に入れチェック。近くに臼杵城跡公園があるので行って見ることにする。急な坂道を上ると大きな広場がある。横にトイレや大きな東屋。猫が2-3匹いたが退いてくれた。



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2010年9月12日日曜日

9/11 宿毛(すくも)

宿毛の13km手前の道の駅。
昨夜は変なおじさんに捕まって遅くまで話をした。この人、石屋さんなのにやたら車に詳しく、特にトラックが好きらしい。興味があるのでいろいろ聞いていたら11時近くになり、芋を茹でて食う時間も無くなった。残っていたおにぎりと、昼間芋と一緒に買ったぶどうが夕食。国内の墓石業界も中国製品に押されて危機的状態のようだ。製造原価低減を求めて海外へ出て、その挙句の事である。
夜は涼しくなってテントの中でも暑くはないが、昨夜は騒音で困った。この近辺は長い直線なので、夜中にぶっ飛ばす奴がいる。それも行ったり来たり。5時頃、直売所に野菜などを出す人が、自動販売機でコーヒーなどを買う音で目が覚めた。朝飯に芋を茹でていたら、前後にコンテナを付けた自転車のオヤジが来た。自らホームレスと言い、去年の10月からあちこち回っていると言う。金はどうするのかと訊くと、自動販売機のおつりの取り忘れや、下に落ちているのを集めると結構食いつなげると言う。この間のお遍路さんは、托鉢で何とかなると言ったが、色々な人がいるものだ。この人よく見ると若い。まだ50歳だと言う。割合ちゃんとした身なりだし話し方もマトモなので現役復帰も可能と思うが、もう定職に付く気は無くなったと言う。今のほうが気楽だと。動けなくなったらどうすると訊くと、お巡りにも同じ事をよく言われると言う。先の事は考えてないようだ。いろいろ訊くと、放浪のための独自のノウハウをよく掴んでおり、仕事に就けばそれなりに出来ると思うのだが。慣れた手つきで自動販売機をチェックしている。多い時は一日2000円位になるらしい。
宿毛を過ぎてから56号線を外れて海岸の県道7号線を行く。これがまた大変な道。初めこそは広いし坂も少しだったがその内3m程に成りカーブと上りの連続。途中から道は広くなったが、坂は急になるばかり。いろは坂もビックリである。最後は押して上る。ようやく峠に着いたら、今度は上りよりも急な下り。危なくてブレーキから手が離せない。下り切った所が深浦。そこからまた上り。今度はトンネルが抜けており、あまり頑張らなくても済んだ。このトンネル、旧の狭いほうが通学用の歩道になっている。今まで通った事のある歩道トンネルとは違い照明は明るく壁は白く塗装され、子供が作ったであろうモザイクの絵が何枚も飾られていて楽しい。






宇和島まで25kmのところにキャンプ場を見つけた。目の前に風呂もある。もうすこし走るつもりだったが、止めてここに泊まることにした。キャンプ場の料金は300円とお手頃である。場所はフリー。入り口に近い所は家族連れが多いので、一番奥に場所を取った。芝生もきれいである。



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2010年9月11日土曜日

9/10 宿毛のほうへ

7時半すぎに足摺を出発。昨夜遅くバイクの二人連れが来てテントで泊まった。今朝ずいぶん
早くテントを畳んで出かけようとしているので、声をかけたら、日の出を見に行くと言う。私も見たいと思ったが日の出時間に余裕もないのでやめた。二人とも大学生で四国一周中。

足摺岬近くのキャンプが出来る場所。



岬の西側の海岸を走るが日陰で涼しい。海側に雑木が生い茂っており、朝なのに薄暗い。景色は所々しか見えないが、それがまたきれいだ。
土佐清水で昨日の道に一旦戻る。それからまた海岸線。海の碧、空の青が素晴らしい
土佐清水の道の駅(めじかの里)で弁当を買って食べていると昨日の折りたたみチャリダーが来た。今日はこの先の宿毛で宿に泊まると言う。
この道の駅、まるで客が居ない。賑やかしに人形がたくさん立ててある。昼になって急に客が増えたと思ったら、裏にある会社の嬢業員らしい。少し早いが今日はもう走るのはやめた。やはり昨日走り過ぎたようだ。朝から体が重かった。5時頃若いチャリだーが来た。荷物が少ないので四国一周くらいか。案の定、四国一周だった。日本一周を羨ましがる。大学生なので時間的に日本一周は無理なので、ぜひ北海道一周やってよと言っておいた。彼も今日は隣の宿毛で宿に泊まると言う。

一緒に記念撮影。彼の名は楢野さん。




4時半頃店に入ったら、さっきまであった弁当類が全く無い。聞くと全部引き上げて行ったと言う。困った。今夜の飯が無い。売っているには菓子ばかり。仕方がないので、直売所でさつまいもを買った。茹でれば飯の代わりになる。

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9/8 四万十へ

産田さんと、そのお母さんに見送られ出発。お母さんが予備の旗の縁をミシンで縫ってくれたので、4ヵ月使ってヨレヨレになった物と交換した。ミシンは何でも大正時代の物とか。嫁入り道具に持ってきたらしい。


55号線は高知で56号線になる。それをずっーと西へ走る。産田さんには途中の上りは結構きついと言われていたが、確かに最後の七子峠はきつかった。斜度そのものはそれ程でも無いが、距離が長い。およそ7km上りが延々と続く。朝のうちは少し気温が低かったが、晴れてくると雨の後だけに蒸し暑い。

峠の途中の景色。こんな高い所を上っている。



峠を超えてしばらく走ると四万十町。先には四万十市がありややこしい。四万十川はさらに50kmも向こうなのになぜ?道の駅 あぐり窪川 につく。今日はここに泊まり、溜まったブログを片付けよう。iphoneの調子もよくなった事だし。

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2010年9月10日金曜日

9/9 足摺岬

四万十町の道の駅 あぐり窪山をでて56号線を走る。四万十川までは約50km。途中の小さな峠でおじさんがチャリだーに会う。折りたたみ自転車だ。これで分割日本一周していると言う。



56号から321号に入り、四万十川沿いを少し下る。途中から海岸を離れ、小さなアップダウンを繰り返し海岸へ出て、その後土佐清水市へ。
土佐清水からまた東側の海岸に戻る。さっき土佐清水へ行かず、そのまま海岸を走れば良かったのだ。土佐清水からまっすぐ行くより遠回りだが景色は良い。登りが少ないかよ思ったが残り7km位はずっとのぼり。細い道をくねくねと。両側には民家や雑木林。雑木林の中は、まだ4時頃なのにうす暗い。暑さはそれ程でも無いが、疲れが出てきた。あえぎながら進む。走行距離はたぶん100kmを超えているであろう。5時過ぎやっと岬に到着。
隣のおっちゃんは観光巡礼の方。後ろはジョン万次郎の銅像


今までの感じと打って変わって観光客が一杯。取り合えず灯台へ。入り口の小さな公園は泊まれそうだ。灯台の周囲は歩道が作られていて足摺り七不思議を巡る。弘法大師が石に爪で引っかいて書いた南無阿弥陀仏とか。そう言われれば字に見えなくも無い。歩道は気に覆われていてさながら木のトンネルのようである。入り口に戻り、買っておいたビールと弁当で夕食。38番札所の金剛福寺を参拝。
立派な寺だ。その後は泊まる場所。丁度、灯台そばの売店のおじさんが帰るところだったので、泊まれる場所を訊ねた。ここは最近イノシシが出るから危険だそうだ。「7-800m行ったところに国際ホテルがあるのでその脇を左に入り、100m程行った所に立派なトイレがあってその奥にキャンプできる場所があるからそこのほうが安心だ。」その通り行ってみる。さっきのおじさんが車で着いてくるのが分かる。国際ホテルの湧きで振り向いて手を振ると、おじさんも手を降ってくれた。言われた場所はその通りで、直径5-60mほどの丸い芝生のひろば。草丈はちょっと高いが立派な場所だ。さすがに炊事場は無い。でも蚊が多い。早速洗礼を受けた。



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2010年9月8日水曜日

9/7 高知観光

昨夜から雨が時おり激しく降る。九州の北の方にある台風に吹き込む南風の影響らしい。今朝も雨。産田さんが高知の名所を案内してくれることになった。お母さんを病院に送り届け、診察の合間に高知城へ。姫路城に比べると小さいが、戦災にも合わず残っている貴重な城だ。石垣は最近補修されたらしい。ところどころ色に違う石がある。今後こういう石垣を補修するような技術は伝承されて行くのであろうか。山内一豊が築いた城だ。中にはドラマで仲間由紀恵が着たキモノなどドラマに由来する物が沢山展示されていた。天守閣からの眺めは素晴らしい。




昼はカツオのたたきを頂いた。さすが本場で食べる味は格別である。午後は坂本龍馬記念館と桂浜。折しも坂本龍馬ブーム。手紙の展示がメインだが、写真が好きだったと見えて何枚もある。手紙は日本語で書かれているのに、殆ど読めないには残念。レプリカだが愛用のピストルもあった。S&W32口径、警官が持つ物より細身でスマートな形である。明治維新に詳しい方が多いが私は恥しいくらい知識が無い。展示に著名な人が大勢登場するが知っているのは名前くらい。学校で近代史は習ったのか?寝ていたか?
桂浜も歩いて見た。以前来たはずなのに全く記憶にない景色。



その後は早めに帰りブログ更新。また、産田さんの膨大な山や旅行の記録写真の一部を見せて頂いた。
一枚一枚に筆でコメントを書きアルバムにしてある。頭が下がる思いである。

走行距離 0km
支出 0円
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9/6 高知

昨夜は室戸岬に近い野球場。夜半すぎ強い雨がふり、明方また降った。お陰で少し涼しくなった。昨日の昼、お遍路の人と一緒に買いあさった半額のパンとインスタントみそ汁と、生のキュウリに塩コショウ(塩が無い)を振りかけてかじる。今日の目標は高知市。いの町にセンパイの産田さんを訪ねる予定。距離は地図上では75km位。坂が少なければ無理しなくても到達可能な距離だ。55号線を走るが途中から海岸沿いに自転車道を見つけたのでそちらを走る。これも線路跡のようだ。お遍路さんの接待所がある。賑やかしに人形が何体も座っていて微笑ましい。



さらに行くと無料宿泊所。自転車、台車はお断りとある。歩き遍路専用らしい。台車というのは?。荷物を満載した乳母車のような物を押している人がいたが、その事?
その後も太平洋を横目に見ながら走る。ちょうど昼過ぎにログハウスのレストランがあったので入ってランチを注文。コーヒーも付いていて850円は手頃だ。窓を全開にしているので海からの風が気持ちいい。メールチェックなどして一時間ほどして出る。自転車道も飽きたのでまた55号線に戻って走る。ソフトバンクのショップが目に付いた。この所、iphoneの調子が悪い。文章を書いている時突然ホーム画面に戻ってしまい、それまで書いたのが全部パー。こんな事が度々あってブログも滞りがち。笑顔のおねえさんに症状を言ったら、「分かりました。すぐ直ると思います。iphoneは賢過ぎて、時々変になるんですよ」 何でも学習機能が満杯になってしまってパニックになりホームに戻ってしまうらしい。ん、それって本当に賢いの? おねえさん、「学習機能をリセットして良いですか?別に問題は起きません」ちょいちょいと操作して「はいどうぞ」
その後は大丈夫のようである。南国市野市(のいち)のソフトバンクショップは感じの良い店でした。産田さんちまで25km余り。すこし遠回りになるがまた、海岸沿いの道に戻って桂浜を目指す。桂浜へ渡る橋は見上げるように高い。自転車でも行けるのか。特に表示はないので通ったが狭くて恐ろしい橋。



何とか橋を渡って急坂を上っておりて、桂浜を覗いて行こうと思ったが道路からは何も見えず。細い道で橋の下を潜って今度は仁淀川を目指す。産田さんちは仁淀川を少し上った所。海岸線に出たためかなり遠回りになったようだ。5時半頃やっと仁淀川。産田さんに電話すると迎えに行くと言う。10km程らしい。仁淀川の土手を走り始めてしばらくすると、向こうから車に乗った懐かしい顔が近づいた。






折しも雨が降り出す。それも本降り。慌てて荷物を全部車に乗せてもらい、後を付いて走る。空荷は軽い。土砂降りの中20分ほど走りようやく到着。面倒なのでカッパは着ず。全身びしょ濡れ。これ位濡れると返って気持ちが良い物である。

走行距離 96km
支出 1605円



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