2010年7月31日土曜日

7/28 琵琶湖大橋

琵琶湖畔。5時頃起きると先生が釣りをしている。日の出までの時間が狙い目だそうだ。
先に朝食を済ませる。その内に太陽が出て来た。結局今朝は釣れなかったようだ。またしばらく色々な話をた。9時過ぎに記念写真を撮り出発。







今日も暑いのでゆっくり走り、昼過ぎに琵琶湖大橋に着く。途中に自転車道路があったが段差が多く、くねくね曲がっているし、おまけに途中で切れている。レンガ色に塗ってあって見た目は良いが走りやすくない。自転車道路のない所は、歩道もなく路肩も狭く、さらにトラックが多いので結構危ない。自転車で琵琶湖一周する人は多いと思うが、もう少し整備して欲しいところである。琵琶湖大橋のそばに道の駅が有り、そこでしばらく暑さしのぎ。それにしてもここは冷房が効き過ぎ。長時間いると寒い程である。琵琶湖大橋は長さ1.5km程。有料であるが自転車は歩行者扱いで無料だ。有難い。3時も過ぎ、空はいつの間にか雲が出て雨が降りそうである。急いで渡る。



橋を渡った所に、ピエリ守山と言う大きなショッピングセンターが有り、その少し先がまた湖岸となっているので今日の宿を捜す。一つの東屋に目をつけた。テーブルと椅子が真ん中に有るのでテントは張れないが、屋根が有るだけで十分である。荷物をおろし、さっきのショッピングセンターへ買物に出た。しばらくして帰ってくると男が一人座っている。30歳くらいか。自転車がそばに置いてある。「旅行ですか?」と声を掛ける「・・・」「どこから来たのですか?」「・・・・」「今日はここに泊りですか?」「・・・・」少しむっとして「耳はないんですか?」「・・・・」ずっと漫画を読んでいる。買って来た弁当を食べ、コーヒーを淹れるのでそこで又、「コーヒー飲みませんか?」「・・・・」。その男、結局一言も発しないまま、暗くなったらベンチに新聞を敷いて寝てしまった。

走行距離 55km
支出 1543円

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7/27 琵琶湖

敦賀市五幡の海水浴場
昨夜の砂浜も昼間の予熱で温かく、寝てると背中に汗をかく程であったが、ふと思いついて銀マットを外して見ると、これがまた具合が良い。どうやら銀マットが下からの遠赤外線で発熱するのではないか。地面を直接触ってもそれほど温かさを感じないのに銀マットを敷くと温かくなる。
5時頃地元の人が近くで草刈を始めた。そうそうにテントを片付け出発。鶴賀へ向かう。
よく考えるとあと2週間余りでお盆である。いつも実家に帰っているが、今回は無理かなと思っていた。敦賀に来て地図をよく見ると、ここから姉の住む鈴鹿に寄り、実家へ向かえば一週間程で行けることに気づいた。鈴鹿峠を超えなければならないが、何とかなるであろう。
取り敢えず8号線から162号線に乗り琵琶湖に向かう。琵琶湖は西側の方がキャンプ場が多いので泊まる場所には困らないようだ。162号線はこれがまた長い長い上り坂。休み休み上り、ようやく峠を超えて少し下った辺りに具合良く道の駅が有り、そこでしばらく食事休憩。道の駅から見下ろすとそう遠くない所に琵琶湖が見える。



一気に下ってしばらく走ると琵琶湖に到着。湖畔周遊道路を走る。意外にもここの道路には、北海道や北陸の様な融雪装置が設置されている。それだけ雪が多いと言う事だ。同じ様に鉄サビで道路が茶色になっている。湖畔のあちこちに湖水浴場が有り、キャンプ場も併設されているが、料金は割合高目。公園も沢山あって泊まる所に苦労はないかと思いきや、キャンプ禁止、バーバキュー禁止の看板が連立。トイレに寄った小さな公園の東屋で1人の同年代風の男が上半身裸で座っていた。ちょっと挨拶をすると、「どこから来たの?」と言う。群馬から北海道回りでここまで来た事を話すと非常に興味を示し、「ちょっとその自転車に乗せて欲しい」と言う。この人、工業高校の先生で、定年後週4日だけ授業に出るのだと言う。今回は日曜からここに滞在してバス釣りをしたり、周辺を自転車で回ったりしているらしい。よく見ると湖畔 にテントが見える。スーパーが目の前にある好立地条件。5km程先のキャンプ場にも一応行って見たが料金は1300円。近くに買い物出来そうな店はない。結局さっきの先生の隣にテントを張らせてもらう事にした。




早速スーパーで買い物。何か作ろうとも思ったが半額商品が沢山有るのでそれらをいくつか買った。下手に作るより安いのだ。一人では飲み切れないので開けられなかったと、先生がワインを開けご馳走してくれた。赤の甘口でワインを飲み慣れない者にとっては美味しい。あちらは工業の先生、こちらは元工業の生徒と、立場は違え共通の話題は多い。この山崎先生もバイクで旅行に行きたいと言う思いを持っているが家族が危ないと反対するそうだ。今が最初で最後のチャンス。何とか家族を説得して、是非旅にでて欲しいものだ。

走行距離 62km
支出 1647円


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2010年7月28日水曜日

7/26 敦賀市五幡

木の台にテントを張ったので夜露が付かず快適。
トイレの電気は点かなかったが、なぜかコンセントは生きていたので、携帯の充電をさせて貰った。6時過ぎに出発。また海岸沿いを走る。能登の海岸のように岩が並ぶ。面白い名前が付いた岩もある。弁慶の洗濯岩とか。
これも変な形です。
何か名前がついてましたが。



鶴賀へ向かう(しおかぜライン)と言う名をつけた道路に入った。海岸線を走るが道路だ。特に自転車は通行止めと言う表示はなかったので入ったが、すごく場違いな感じ。道は良いし、交通量はすくないし、良い事づくめだが、落ち着かない。10km以上も走ったか、やがて8号線に合流。これがまた交通量が多い。それもトラックが。道が広い内は良かったが古い道路になると狭くて、おまけにアップダウン。自転車にとっては結構危ない道。小さな岬を回る度に、小さな入り江に集落の有る景色が繰り替えし出現する。その一つに、砂浜までクルマを乗り付けて海水浴場をして居る人達がいる場所を見つけ、下りてみると泊まれそうだ。有料らしいが管理人はもういない。ただゴミが多いので反対側の端へ行ってみる。こちらの方がきれいだ。近くにいたおばさんに訊いたら、真ん中の小さな川のあっちとこっちで管理する地区が別だと言う。面白い。「ここへ泊まるんだったら朝早く出て行かないとお金取られるよ。」分かりましたありがとう!




走行距離 78km
支出 2044円


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2010年7月26日月曜日

7/25 東尋坊

昨夜は手取川河川敷公園。場所選びは失敗だった。夜になると次々と近くに若い男女が集まりだした。何をしているのか分からないが時々歓声が上がる。困ったな遅くまで騒ぐのかと思っていたら11時過ぎには三々五々帰り始めた。やれやれと思って寝たが、今度は5時前から車が次々とやって来てドアの閉まる音が響く。小さい船が沢山並んでいたので、これで釣りに行くようだ。昨日テントの用意をしていたので釣り大会かも知れない。早々に片付けて走り始めたが、向かい風のため進まず。道路もこの辺は入り組んでいてわかりにくい。昼も近いので何か食べ物の店をがしたが無い。ふと、のぼりが見えたので行って見ると懐かしい木造校舎である。板張りで筋交いが外に張り出している、典型的な昔の学校である。この校舎を利用した食堂。他にも多目的に利用されている。今日は子供の料理教室だそうで、食道にはエプロンをして頭にバンダナ等を巻いた子ども達が、自分達の作った物を食べている所であった。
注文した(豆乳冷やしうどんは)とても美味しかった。この店の人が車で20分くらいと言った東尋坊に着いたのはおよそ3時間後の16時。早速岩場を歩いてみる。それにしても危険な所。今まで行った事のある観光地の中では危険度NO1である。普通だったらとっくに冊やらロープを張り巡らして景観を壊す所だろう。












今夜の宿は東尋坊の近くの駐車場公園の一角。テントを張るに丁度良い木の台がある。






走行距離 60km
支出 2779円
夕食は近くの海賊船と言うレストラン。美味しかったです。

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7/24 白山市美川町手取川

金沢ユースホステル。久しぶりによくねむれた。このYHのペアレントは70歳位。体格は良く私の丁度2倍の体重。若い頃から旅は好きでリュックを担いで随分あちこちへ行ったそうだ。昨日は旅の効能など随分熱く語ってくれた。またYHの客は客ではなく家族だと思っているとも。

ペアレントと2ショット






10時半ごろようやく出発。ペアレントに冷たいお茶を沢山ペットボトルに積めていただいた。まず兼六園を見学する。ひろいので回るだけでも大変である。特別な物がある訳では無いが、よく手入れされた落ち着きのある庭園。木が多いので日陰が沢山あり、歩いていてもそれほど暑さを感じない。観光客も沢山来ている。庭園をでた所の食堂で休憩を兼ねて昼食。しばらくはブログなど書いて1時ごろ店を出る。金沢城は時間の関係で割愛。それからは街中を白山市の方へ走り、向かい風で思うように進まず。4時ごろ手取川。ふと呉竹文庫と言う看板を見つけ、入って見る事にした。ここは旧北前船船主「熊源」熊田屋分家三代目源太郎が私財を投じて自身の蔵書を元に私立図書館として設立したと言う事である。
幼少の頃から本好きだったと言う事だが、ありとあらゆるカテゴリーの本が有り、驚かされる。自身は大人になってからは実業家のため忙しく本を読む十分な時間が持てなかったと言う。「私はシミになって本の中で暮らしたいと言ったそうだ」と言うここの管理人さんの言葉が印象的であった。管理人さんには蔵書から源太郎の居室や茶室に至るまで丁寧に案内していただいた。
今夜はこの手取川河川敷公園の片隅に泊まる事にする。







走行距離 30km
支出 1665円
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2010年7月25日日曜日

7/23 金沢のYH

昨夜は千里浜キャンプ場。ここの砂は非常に細かく、そのためか濡れると硬く締まる。なぎさドライブウエイと称して砂浜を車で走る事ができる。
8時過ぎに出発。249号線を走るが、少し海岸線から離れている。ここからしばらくは海岸沿いに有料道路が走る。間に県道162?があってしばらく走る。もっと海岸寄りと思ってもその道は下へ下がって有料道路を潜って海岸に出てしまったりで、安心して走れない。河北市白尾から内灘に入り、ずっと小高い丘の上を走る。白帆台という高級そうな住宅団地が続く。町や川が畑が見下ろせてとても良い眺めである。途中の道路端は細かい砂。畑も砂地である。と言う事はこの丘は砂丘?近代的な建物や公園や橋が続き、今まで通って来たひなびた能登の海岸沿いとは対象的である。

公園の展望台








上に登ってみた








持っている観光地図ではキャンプ場など詳細な情報が載っていないので、ツーリングマップルを買おうと金沢市に入る。駅前の大きなショッピングセンターに入ったが、きらびやかな売り場はまるで異次元空間。能登でも北海道でも、店といえば雑貨屋の様な所で、ごく限られた商品しか買う事のできない所が多いのに、ここではありとあらゆる物が溢れている。このギャップは凄い。
3時も過ぎようとして、これからまた海岸線沿いに戻り、寝場所を捜すのも非常におっくうになったので今日はYHに泊まる事にする。電話をすると部屋は空いてるけど、場所は高い所にあるので自転車だとちょっと大変かなと言う。では辞めますとも言えないのでお願いした.iPhoneにインプットして走り始めたが長いトンネルを抜けると何と行き過ぎている。地図を良く見て考えて見るとYHの場所はトンネルの真上、山の上である。こうなると頼りのiphoneも全く役に立たない。YHに電話して道をおそわるが途中で分からなくなる。iphoneで検索し直したがいつの間にか圏外。小高い所とは言え金沢市の中心部。有名な兼六園も近いのだ。圏外とは心外な。困るぞソフトバンク。上り坂は半端ではない。心配したペアレントが様子をみに来てくれた。有難い事だ。車の後を付いて走ってようやく到着。しかし、食事はもう出来ないと言われていたがこれでは買い物にも行けない。YHはなぜこんな不便な所に作るのか?山の上にあるとは言え、窓から金沢の夜景が見える訳では無い。これではいくら時間があっても市内へ散策に行く気にもなれない。幸いペアレントも夕食を買いに行くと言うので一緒に連れて行ってもえる事になった。 その後飛び込みで宿泊する事になった古いモーリスミニで神戸から来たお兄さんも一緒に買物に。この車、40年前の代物。当然クーラーなんぞは付いていない。よほど好きでなければ乗れない車だ。でも部品は今でも割合手に入りやすいのだそうだ。写真を撮らなかったのは残年。

走行距離 54km
支出 8648円
ユース代、マップル購入
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7/22 千里浜海水浴場

道の駅赤神で泊まったが暑くて参った。建物は南に面しているので一日中太陽をあびてすっかり温まっており、おまけに風は山側から吹く北風。建物に風が通らない。蚊取り線香を焚いて戸を閉め、ベンチに寝ていたがどうにも我慢できず、夜中2時ごろ外にテントを張って寝直した。
5時頃起き7時すぎに出発。今日も朝から暑い。海岸沿いを走る。泣砂の浜と言うのがあるが寄らずに走る。ここからは海岸沿いを走らずR249をそのまま行き峠越え。再び海沿いに出て、富来浜街道。世界一長いベンチと言うのがある。長さ450m余り。
全部席をうめると何人座れるのか?






さらに進むと巌門。能登では外せない観光名所らしいが、店の人は今年は客が来ないと嘆いていた。自然の岩の造形美。この辺はかつては600種今でも400種もの貝が取れるらしい。著名な海岸で売られている貝殻の多くはここの産だそうだ。







巌門の中から






今日の宿は千里浜海水浴場のキャンプ場。かつては客もいたかもしれないが今はライダー等がたまに来るだけの様だ。本来のキャンプ場の役目はもう終わった様な所。一応草は刈られているが、管理人小屋は荒れはて、常設テントの跡の床材だけがむなしく残っている。こんな所でも使用料を払うと流しの電気は付けるくれるし、水も使い放題。荒れ果てた小屋は日除けになる。これが無いと、ずっと西日を浴び続ける訳だから有難い。受付で貰ったガイドMAPを頼りに風呂へ行き、買い物をする。町がすぐそばなので便利だ。







走行距離 57km
支出 2028円

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2010年7月22日木曜日

7/21 輪島市

昨夜は砂浜。夜露でテントが濡れなかったのは有難いが、日中しっかり温まった砂は床暖房の様で妙に温かく寝にくかった。昨夜トイレの前に付いているシャワーを浴びた。もちろん水だが。暗いとは言え外だし、車が来るとライトが当たるので裸になる訳には行かないので、Tシャツのまま浴びてトイレで着替え。昨日のに続いて水シャワーである。
朝荷物を片付けていたら、散歩中の人が声をかけて来て、すぐ近くに美味しい湧き水があるとおしえてくれた。水の研究をしているどこかの大学の教授がこの水を飲んで、これは世界で3本の指に入る名水だと言ったそうだ。確かに美味しい水である。朝から暑い。休んでばかり。坂の途中で休み、峠に着いて休み。
道の駅千枚田ポケットパーク。






本当に1000枚以上有るらしい。小さい物は1平米以下に見える。
10時頃輪島に着く。輪島漆芸美術館に入って見た。入場料600円。受付と二階に1人づつ女性の係員が居て、客は自分1人。著名な方の作品が沢山展示してある。デモビデオもあって、非常に精密な手間のかかる作業を見せている。どうせ外にでても暑いのでゆっくり見学し、一階の休憩室でコーヒーを飲みながらブログを書いたりするが、寝不足なのでついつい居眠り。輪島を過ぎ、海岸沿いに行くつもりが、迂回するR249に入ってしまった。戻るのも無駄なのでそのまま進むが店が無い。やっと一軒の小さな店を見つけ入ったが、食べ物は何もなし。店のおばさん曰く、置いてもすぐ傷むので置かないと言う。もう一人おばさんがいてあれこれ聞かれる。何ヶ月もの旅行に奥さんがよく同意したと、何度も呆れた様に言う。飲み物だけ買ってこの先の道の様子を訊くと、ちょっと上るとすぐトンネルなので、それを抜けると下りですぐ門前町につく、そこなら店は沢山あると。案の定伯母さんの言うちょっとは当てにならない。トンネルまではかなりきつい、長い上り。トンネルの後は確かに下り。2時ごろやっと門前町。スーパーを見つけたので弁当を買い、店の中で食べる。その後ようやく海岸に戻りしばらく走る。ポケットパークがあって泊まれそうだったがもう少し先まで行ってみる。次は道の駅赤神。店の中に灯台のレンズが飾って有る。初めて間近で見るレンズ。フランス製のフレネルレンズ。フレネルと言うのは知っているが発明者の名前とは知らなかった。トイレの前に大きな休憩所が有り、ずっと解放されている様なのでここに泊まる事にする。ここも輪島市






走行距離 48km
支出 3050円

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2010年7月21日水曜日

7/20 輪島市 窓岩ポケットパーク

見附島海水浴場、朝早くからお年寄り数人で海水浴場を掃除している。朝食を済ませテントを畳んでトイレで歯磨きをしていたら、トイレやシャワー室を掃除しているおばちゃんが、ゴミがあるなら持って来い、と言うのでお願いした。この辺りはずーっとコンビニが無いのでゴミの捨て場に困るのだ。ありがたい。8時ごろ海水浴場を後にして20kmほど走った辺りで、向こうから来たマウンテンバイクの人がUターンして声をかけて来た。珠洲市の人で、朝ちょっと走りに出て、戻るところらしい。年は40才くらいか。色々話した後、今日は珠洲市のお祭りだから見て行かれては?と言われたが、これから20kmも戻るのはしんどいのでやめた又と無いチャンスではあるが。そういえば来る途中珠洲の街中で祭りの準備をしていた。今日と明日の2日間だと言う。珠洲の祭りは能登では有名らしい。もう一日遅ければ良かったのだが。別れ際にさっき買って来たばかりと言うジャムを一瓶頂いた。その後道は登りになる。小さな岬の度に迂回するため上りとなるのでその度に大汗。ある店の前で男の人二人がおいしそうにアイスを食べているのを見て、急に食べたくなって立ち寄る。アイスを食べている人とちょっと話をすると、「そういえばこの間ラジオで日本一周している人が出てたね」と言うではないか。「土曜日の番組ならそれ私ですよ」と言うとすごく感激してくれた。この人たちに氷を頂き、しばらくの間重宝した。この道路にはほぼ一定間隔にポケットパークと言う、トイレと休憩所が付いた駐車場がある。4時ごろその一つ窓岩ポケットパークに着く。東屋に泊まれそうなので、もう走る気力を無くした。メールをチェックしたりしながら周囲を見ると、狭いけど平な砂浜がある。すぐそばで漁師2人が何やらやっていたので、その1人にここに泊まって良いかと尋ねたら、良いよと言う。さらに夜中に波が来たりしないですかと訊くと、手を上下に3〜40cm開いて、大潮の時でもこんだけしか来ないと言う。砂浜の方が東屋のコンクリートよりは寝心地が良いはずだ。

岩に穴が明いているので窓岩






その後きれいな夕日が見られた。





走行距離 61km
支出 850円


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7/19 見附島

小学校の校庭。5時ごろ起き出して朝飯の支度を始めたら、昨夜からお爺さんのところへ来ていた息子さん夫婦が、今日は本当は休みだけど仕事があるので、と帰って行くところだった。その後お爺さんが朝飯を食べに来いと言うのでお言葉に甘えることにした。今からみそ汁を作るからと、玉ねぎやジャガイモをきざみ始める。みそ汁が煮えると、漬物、まめの煮物と、ご飯は柔らかいだろうけどと言いながら用意してくれた。この旅を始めて2ヶ月半過ぎたが、こうしてよその家でご飯をいただくのは初めてである。ましてや100才のお爺さんに作って頂いくなんて。その後御茶もいれて頂いた。碁が出来ればね、とまた残念そうに言う。退屈になると近所の人を電話で呼んで碁を打つらしい。テントを乾かして畳んだりバッグに物を積めたりするのを、そばでじっと座っていかにも珍しいと言う様に見ていた。縁側で写真を取らせて貰ってお別れした。さらに長生きをして貰いたいものだ。










海岸通りをくねくねと走る。昨日と同じ様な景色が続く。2時ごろ見附島に着く。見附島は船のへさきに似ているので軍艦島とも呼ばれる。キャンプ場もあるので管理事務所を探したがよく分からない。それらしき場所には張り紙で一応場所の名前は書いて有るのだが、その場所がわからない。海水浴場の管理人訊くと、よくその辺のロープの外(キャンプ場外)でテント張って泊まっていると言うので、それに習うことにした。











ウキとロープで仕切られた海水浴場はそれほど広くは無いが安全そうである。客は20人余り。管理人に教えてもらって買い物を済ませ、5時までシャワーが使えると言うので喜んで入る。200円で3分。町営なのに何と高いこと。仕方ないので金を入れたが、出て来るのは水だけ。後で管理人に言ったら、最初の人はそんな事があると言う。料金は返してくれたがお粗末な設備である。

走行距離 56km
支出 796円

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2010年7月20日火曜日

7/18 穴水町曽良

夜露で濡れたテントを乾かし9時まえに出発。近くにある能登水族館へ行った。開園の9時丁度くらいだがすでに客は沢山来ている。ウニやヒトデを直接触ってみられたり、水槽の横から手を入れて魚に触れる事が出来るなど工夫されている。北海道の朝日山動物園と同じ様なアクリルの大きなトンネルを通ると色々な魚が天井や壁を通して見る事が出来、とても楽しい。赤い光に浮かぶクラゲの動きは幻想的。ずっと見ていても飽きる事はない。
11時ごろ水族館を出て、能登島のもう一つの橋ツインブリッジを通って中島へ渡り、さらに穴水へ。穴水から海岸沿いの道へは峠越え。海岸沿いの道はほぼ平坦だが、くねくねと入り組んでいる。途中出会ったライダーからこの先のキャンプ場等の情報を聞く。道沿いに民家があるが店らしいものは無い。小さな入江にヨットが沢山停泊している。周辺の家はほとんど別荘の様である。殆どの路地に(私有地に付き立ち入り禁止)の立て札。売り物件も多数みられる。しばらく行くと集落。店があるかもしれない。またそろそろ寝る場所も必要。家の前に出ている男の人に店を訊くと、店はすぐ隣だと言う。でも残念ながらビールは隣の町に行かないと無いと言う。さらにテントを張って寝る様な場所は無いですかねと訊くと。この先の廃校になっている小学校の校庭なら大丈夫だと言う。小学校の校庭は一度は泊まってみたかった場所。願ってもない場所だ。







お礼を言って行こうとすると、先ほどの人がトラックに乗ってきて、隣町の店まで乗っけて行くと言う。そこで買い物したら小学校まで戻ってきてあげるから自転車も乗せろと。せっかくのご好意に甘える事にした。(この方建築業の川尻さん)。ビールと野菜を少し買って小学校まで戻って貰い、さらに小学校のそばの家に紹介してくれて、水を使わせてやってくれと頼んでくれた。この家の人、何と100才のお爺さん。1人暮らし。水を貰いに行くと上がれと言うのでお邪魔した。耳はかなり遠いがとてもしっかりしていて100才には見えない。生まれは明治43年。私の父と同い年である。と言う事は父も生きていれば100才。北国出版のアクセスと言う本にこのお爺さんの記事が載っているのだ。






なげしの上には総理大臣麻生太郎や知事からの表彰状。それにこのお爺さんの囲碁4段の認定書。囲碁は出来るかと聞かれたが残念ながら不調法。少し残念そう。満州時代の話を聞いた。航空機製造の事務をやっていて、内地の人の何倍も給料を貰っていい思いをしたが、終戦と同時に労使の立場が逆転し4回も死に損なったり、銀行の積んであった金は 全てパーになったり。引き上げてからも織機を買って仕事を始め、機械のメーカーにそそのかされさらに新しい機械を入れ、一時は儲かった物の安い中国産に負けて倒産。結局は騙されたらしい。

走行距離 41km
支出 1450円

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2010年7月19日月曜日

7/17 能登島

道の駅氷見。昨夜はやはり降られた。でも朝にはあがって雲は多いが日の出が見える。テントはびしょ濡れ。そばの東屋にロープを張ってテントを乾かす。





向こう側は漁船の港。3時ごろから人が来て何かをする音がしていた。後で分かったが船に氷を供給する設備がある。昨日夕方氷見の商店街を歩いてみたが、午後5時には店は閉まり始め、6時にはほとんどの店が閉まる。開いている店はコンビニ他僅か。人通りも少ない。ニンジャハットリ君も張り合いが無いのではないか。
8時ごろ氷見の道の駅を出る。160号線。しばらくは良かったが太陽が上がるにつれ暑くなって来た。道の駅(いおり)から七尾までは峠越え。涼しい時なら何でもない坂だが、とにかく暑い。少し登ってはオーバーヒートで休憩。やっと昼前に七尾の道の駅に到着。ここは能登食祭市場と称して、沢山の店が集まり人も大勢で賑やか。しかし旅人向きではない。和倉温泉のそばを通り能登島大橋を通る。橋の曲線はきれいだが、自転車で渡るとちょっときつい。






しばらくアップダウン。道の駅3km、キャンプ場7kmと表示がある。道の駅の様子を見てからキャンプ場へ行こうと思ったが、いけども道の駅が無い、どこかで標識を見落とした様だ。とうとうキャンプ場のまで来てしまった。暑くて戻るのも大変なので、ここに泊まる事にする。料金は1050円。内地にしては安い方か。







今までのキャンプ場と違い今日は人が沢山来ている。案の定話し声が遅くまで続きねむれない。特に上のバンガローの若者グループの話し声は明け方まで続いた。特別騒いでいる訳でも無いので仕方ないか。
走行距離 64km
支出 1440円

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2010年7月16日金曜日

7/16 氷見

ホタルイカミュージアム。昨夜はかなり強く降った。テントの中は少し蒸し暑かったがまあまあ寝られた。場所が場所だけに早めに撤収。












すぐ裏の海岸でパンとコーヒーで朝食。5時前から人が来て体操したりしている。1人の人としばらく話しをしたが、その人はその後、ラジカセ伴奏にハーモニカを吹いていた。かなり
上手だ。知ってる曲ばかりなのでしばらく聞いていた。その後ブログを書いたりして8時ごろ出発。
ノンビリ海岸沿いを走る。自転車道の標識があるので行ってみる。丁度そこから出て来たのは、自転車の一種のリカンベント。早速写真をを撮らせてもらった。








これはセミタイプで、ペダルが低いから乗りやすいのだそうだ。彼のお気に入りのポイントを教えてくれた。かなり寄り道になるが行ってみた。富山駅のそばの環水公園。彼曰く、そこのスターバックスで珈琲でも飲んでると、オランダに行った様な気になると。本当にそうだ。オランダは行った事が無いので分からないが、水路とレンガ色の建物や橋で異国情緒たっぷりである。









彼のお勧めの通りスターバックスでコーヒーを飲み、その後氷見へ向けて走る。発電所を迂回するのに苦労した。さらに行くと人と自転車だけが乗れる渡し舟があるので乗って見た。超小型フェリーだ。対岸はすぐ目の前だが陸を行くと遠い。








ほんの五分ほどで対岸へ。今ここでは橋作りの真っ最中。あと一年もするとこのフェリーも無くななるかもしれない。交差点で話しかけて来た同年代の男性。マウンテンバイクにバッグをつけ背中にリュック。足は下駄履き。家にいても仕方が無いのでスポーツジムで泳いだりして後は喫茶店など涼しい所でパソコンでメールチェックなどやっているという。彼も日本一周やって見たいと言うので、是非やる様に勧めた。とにかく最初の一歩が踏み出せるかだよと。
氷見は藤子不二雄のふるさとと言う事で、ニンジャハットリ君が町興しのキャラクターになっている。通りのあちこちにハットリ君他の登場人物の人形が立っている。道の駅にはあまり適当な所がないので横の芝生にテントを張った。雨がふらねば良いが。東屋もあるが下が細かい石なのでやめた。背これでは中も痛いしテントも傷む。

走行距離 70km
支出 1739円

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7/15 富山県滑川市

泊まった所がレストランの前だし、このレストラン朝食を6時から出すと書いてあるので急いで片付けた。とは言っても、テントは使わず、ベンチに寝袋だったのであまり時間は掛からない。ゆうべは雨風が強く、大きなひさしの下だが時おり雨が吹き込んできて目が覚めた。寝袋もしっとりである。昨日初めて炊いたご飯の残りと味噌汁で手早く朝飯。昨日のおっさんが起きて来たので、コーヒーを一緒に飲み、7時ごろ先に出掛けた。このおっさんこと富山市の荒川さん、今朝約束の釣りが、相手のドタキャンで無くなったので、私に付き合ってくれるという。ここから先の楽な道を懇切丁寧に紙に書き、何度も説明してくれた。これから北陸路最大の難所も親不知子不知の後半戦。持てる安全グッズを全部つけて出陣。トンネルは思っていたほど狭くなく、坂もそれほどきつく無い。ただトンネルで上りはやっぱり危ない。おまけにカーブ。交通量も多くなかったのが幸いであった。






30分足らずで抜けてやれやれと休んでいると、おっさんが来た。今度は魚津の海の駅で待ってると言い置いて先に行った。有難いけどちょっとうんざり。途中海岸へ行ったり湧き水を飲んだり(この辺は道端に湧き水がある)





やっと魚津の海の駅、すでにおっさんが待っていた。彼はもう済ませたと言うので一人で昼食。その内に大雨となった。建物の中で居眠りしながら雨宿り。おっさん又、滑川の道の駅までとその周辺の地図をよこして先に行った。ブログを書いたりしてたので遅くなり、雲行きも怪しくなったので急いで出る。滑川に着いたが、泊まるに適当な所がない。休憩室は17時で閉鎖だ。喫煙所でしばらく地元の人と話していて、おっさんの待つ市営の風呂へ。おっさんの地図は正確。コインランドリーもちゃんとある。すでにおっさんは風呂から上がっ待っていた。多分3時間位は待っていたであろう。風呂から出ておっさんとしばらく話しお別れした。それにしても親切なおっさん。私よりも少し若い人。有難うございました。





走行距離 53km
支出 2749円


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7/14 親不知、子不知

道の駅 うみてらす名立のバス停。車の音はうるさいし、ベンチは狭くて寝苦しい。5時ごろ起き6時ごろ出発。



昨日の続きの自転車道を走る。トンネルが続く所は薄暗いがこの辺は左は山、右側に民家が屋根を連ねその向こうは海が見える。列車に乗って車窓から景色を眺めているつもりで楽しみながらノンビリ走る。
道端にいたおじいさんに、いつ頃まで列車が通っていたかと訊くと、20年くらいか、30年は経っていないと思うと言う返事。がけ崩れなどでよく不通になるので、新たにトンネルを掘ってそちらへ通したそうだ。「汽車が通らなくなるとやっぱり寂しいね。この辺もすっかり寂れたよ。住んでいるのは年寄りばかりだから、もう10年もすると半分くらい空き家になるよ」ちょっと寂しい話だ。
道の駅マリンドームで練習船(越山丸)が展示してあったので入ってみた。狭い船内の学生の居住空間に2段ベッドや収納がうまく配置されている。船長室は個室だが狭い。しかし必要な調度品立体的に配置さてていて全く無駄がない。残念ながら機関室は入れなかった。さらに自転車道を進むと古民家の博物館。藁葺きでこの地方独特の曲がり屋だ。古い民具がこれでもか、と言うほど展示してある。何に使うか分からない物が多い。自転車道がなくなり8号線に戻る。大きな川があり、糸魚川と思ったら姫川。糸魚川がない。後で知ったが、糸魚川と言う川はないらしい。そのうち有名な親不知子不知に差し掛かる。後ろに点滅ランプを追加し、黄色い反射たすきを掛けて走る。長い覆道とトンネルを過ぎて親不知駅の上。これで親不知は終わりかと思ったが、実はこの後の方が本番なのだ。
今日はここの道の駅(親不知ピアパーク)で宿泊。高速道路の下という珍しい道の駅レストランの前が広いしテーブルもベンチもある。



テーブルでご飯を炊く準備ををしている時、話しかけて来たおっさん。話好きで何となく一緒に飲み食いする事になった。彼が持参したイカやカツなどご馳走になった。この先の明日走る道を懇切丁寧に書き、説明してくれた。自転車だからバイパスは上らず、旧道をとおった方が良いとか。彼は富山市の人で、明日6時にここで友人の待ち合わせして釣りに行く予定とか。私もコーヒーなどご馳走した。
走行距離 46km
支出 2099円

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2010年7月15日木曜日

7/13 その2 道の駅うみてらす名立

道の駅の風呂に入る。ついでに食堂で夕食も済ませバス停に戻ったが周囲がどうも騒がしい。花火の音も絶えず聞こえる。地下道を通って町の方へ行ってみると、男の子たちがたわむてている。「騒がしいけど何?」と訊いてみたら「今日はお祭りだよ。最後の日だから面白いよ。見て行けば」よくみると道路の上に祭りの提灯が並んでいる。今まで沢山の町を通って来たが、お祭りは初めて。それにしてもこの男の子達とても気軽に話しかけてくる。「どこから来たの」「何で来たの」「えっ、群馬からこれを見に来たの」「えっ、自転車。うそー」「凄い。日本一周終わったらテレビに出られるじゃない」と。変な親父に興味深々の様である。せっかくこの中学性の男の子達と話が出来たので記念撮影をする。






その後男の子達と一緒の祭りの中心へ。舞台が作られていて、大勢(と言っても3〜40人)小雨が降っているので家の軒下などから遠巻きに見ているが、まだ何もやっていない。そのうち笛と太鼓の音と共に獅子舞が始まり、その後もからす天狗のような面を被った人や、変わった笠を被り短い刀を持った人などが飛んだり跳ねたり。一つの演目が10分くらいで、次々と違う衣装の人が出て舞う。聞くと12時半くらいまでやるらしい。踊りでは無く神楽だという。





弓矢を持った2人組が舞い始めると舞台の周囲に人が集まり始めた。舞台から矢を射るのでそれを取ると縁起が良いのであろう。5分ほども舞ってから突然矢を射った。残念ながら矢は前の家の軒の小屋根の上に。若い人が人の肩に登り矢を取るとわーっと歓声が上がった。矢は一本しか射たないようだ。
神楽はここで小休止。さっきの男の子達にブログに写真載せるから見てねと名刺を渡した。この子達、とても溌剌としていて屈託がなく、一緒にいると楽しくなる。神楽を最後まで見ていると遅くなるので子供達と別れてバス停に戻ったが、今日ばかりは遅くまで遊んでいても構わないらしい。別れてからもバス停まで遊びに来て自転者を見たりしていた。

走行距離 68km
支出 8355円
(タイヤ6000円)
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2010年7月14日水曜日

7/13 その1 やっと上越市

道の駅まつだいを6時前に出発。午後は雨の確率が高いので出来れば午前中にしかるべき場所を見つけたい。それにしても昨夜は車の音がうるさかった。丁度上り坂だし、建物に音が反射するのでトラックが通ると轟音になる。それでも少しは寝たので慣れて来たか?
道の駅を出るとすぐ上り坂である。7〜8kmも続いたか長い上りからトンネルを過ぎてようやく下りになる。さっきから小雨が降ったり止んだり。一気に下り、少しなだらかになり、さらに平坦路を真っすぐしばらく走ると上越市に入る。雨が強くなる度にコンビニやガード下で雨宿り。タイヤはもういつパンクしてもおかしく無い状態なので段差や石ころに気を使いながら走る。直江津で自転車店を検索すると何軒かある。カタカナ名の方がスポーツ車を扱っているかと思ってサイクルショップナントカへ行ったら、大外れ。そこで教えてもらった1kmほど離れた店へ行く。あるにはあったがスリックではない。700用は沢山ある。マウンテンバイクよりロードやクロスが主流の店らしい。卸商へ行ってみたらと店主のおばさんが言うので行こうとすると、何と前輪がパンク。仕方無く、店先を借りて修理。小さな切り粉が刺さっていた。タイヤが薄いのですぐチューブに刺さる。雨の中3kmほど離れた卸商へ。さすが卸商、ありました。今度はサイズを今までの1.5から1.75に少し太くする事にした。倉庫の入り口を貸してもらって無事交換。元前輪に付いていた少しましな方のタイヤを予備で持つ事にして、他のは処分をお願いした。雨はさらに強くなってくる。ヨーカ堂で雨宿りついでに弁当を買って昼食。もう2時。今日の宿を求めて10数km先の道の駅へ向かうが雨が強くなりバス停で雨宿りだが眠くてしばし居眠り。少し行くと車道とほぼ並行に自転車専用道路が有る。自転車なぞ余り通っているとは思えないほど両側は草だらけ。しかもトンネルは濡れていて雫が落ちてくる。正直かなり不気味。これは線路跡のようだ。



自転車専用道路をゆっくり走ったり途中怪しげなヒッチハイカーと話したりしたので、道の駅(うみてらす名立) に着いたのは5時近く。さっきの自転車卸商の人は、もう一つ先の道の駅の方が泊まるには良いと教えてくれたが、ここは風呂があるので今日はここに泊まる事にする。一見適当な所が無さそうなので、すぐそばのバス停で寝る事にした。地下連絡通路の入り口なのでどうかと思うが、人は殆ど通らない。ただ、道路のそばなのでうるさい。

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2010年7月13日火曜日

7/12 上越市をめざす。

昨夜はほくほく線のガード下。駅は近いのでメールや地図をみるには不自由しない。トイレもすぐそば。コンビニも近い。十日町はもっと小さな町と思っていたが、けっこう大きい。駅裏などは新築の家が沢山建っている。昨日コメリでタイヤを買っておいたので出発の前に交換しようとしたが、ホイール径に全く合わない。買ったのはマウンテンバイク用では無く普通の自転者用。インチ数が同じなら使えると思ったが大間違いであった。仕方無いので前後のタイヤを入れ替えた。やはり加重の大きい後輪の方が減りが早い様だ。雨が小やみになったので9時過ぎに出発。ほくほく街道R253で上越市を目指す。上り坂だ。そのうち雨が降り出し段々強くなったのでトンネル前のバス停で雨宿り。昼には少し早いが腹が減ってきたので、昨日正田シェフに持たされた余り物のウドンに納豆をトッピングした納豆ウドンをつくる。スープは北海道で買っておいた玉ねぎスープ。まあまあの味である。









昼頃、(道の駅まつだい)で又しばらく雨宿りして、小やみになったので出かたが、いくらも走らない内に雨が強くなる。バス停で長い間雨宿りしたが止みそうもない。結局又道の駅まつだい迄戻る。今日はここで泊まりである。なぜか高校性が大勢たむろしている。ほくほく線は六日町から上越までを結ぶ第三セクター。トンネルの多い路線だ。ここのトンネルは世界でも指折りの難工事だったらしい。

走行距離 21km
支出 3135円

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7/11 十日町キャンプ

キャンプ場コテージの朝。いつもと違ってゆっくり起き出した。釣り好きの1人は早くからそばの池で釣りをしているらしい。
顔を洗ったりしているうち、何人か起き出して昨日の残りのビールを飲み出した。まだよく冷えていると言うので私もいただく事に。朝からビールなんてこの上ない贅沢。我らシェフの正田さんは忙しく朝食の準備。メニューは焼き魚(粕漬け)味噌汁、スクランブルドエッグ他。他の連中も手伝い朝食。私は何もしなくて良いとの事だがほんと申し訳無い。でもラクチンである。食事後もめいめい散歩や昼寝(朝寝?)。私も昼寝なぞしたのは本当に久し振り。釣りをしていた大津さん。何か10匹程釣れたようだ。しかしこれはテーブルに乗る事はなく、池に返されたもよう。チェックアウトは延長して午後3時なのでのんびり出来る。少し荷物の整理などしているともう昼。正田シェフが又腕を振るう。昼食は軽めのうどん。午後3時過ぎ、みんなにふたたび見送られて出発。みんなのお陰でしばし楽をさせてもらったが、また現実の日本一周の旅に戻る。






あいにく小雨なので取り合えず十日町の道の駅に来た。風呂もあって良い所だが建物は22時に全部閉まるそうで、泊まれる様な所はない。街中の道の駅はたいていダメだ。野菜やスイカを売っているおじいさんに「ここに泊まろうと思ったけどダメですね。」と言ったら「ここは無理だな。そんなら駅の裏口ほくほく線のガード下なら大丈夫だ。あそこなら誰も何にも言わないよ」と教えてくれた。このおじいさん、「わしも若いころ自転車で日本一周したよ」と言う。「50年くらい前ですか?」と聞くと、「もっと前だな。」「その頃なら何にも無くて大変だったでしょう」と私、「今みたいにブルーシートは無いし、テントはごつくて重いので紙に何度も油を塗って乾かした油紙でテントを作って持って行った。真ん中の棒は現地でその都度調達した。これは軽いので良かった」「北海道で寝ている時、テントの中にヒグマが入って来て肝を潰した。釣った魚を食べ、残り半分をテントに入れていたので、その匂いに惹かれて来たんだろう。クマもびっくりしたようで、慌てて逃げて行った」「地元の人にいろいろ親切にしてもらったし、大変だったけど楽しい旅だった」その後特攻隊での生還の様子など話してくれた。昨日の事のように細かい事まで話してくれた。別れ際に「気をつけて回れよ」と言ってくれた。おじいさんに教わった場所に来て見た。広いガード下はこの駅を利用する人のための駐車場になっていて、柱の陰で駐車出来ないデッドスペースがある。テントを張るのに格好の場所だ。

走行距離 14km
支出 1250円

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2010年7月11日日曜日

7/10 十日町


(道の駅R290とちお)に泊まった。建物には大きなひさしがあってテントを張るには格好であった。芝生もよく手入れされ非常にきれいな道の駅。
雨であったが朝早くから犬の散歩にくる人が多い。朝飯がわりのパンを食べていたら、犬を連れた人が親しげに話しかけて来たので暫く話した。犬も人なつっこい。泥棒が入っても役に立たないと笑っていた。






今日はニコニコクラブの連中がわざわざ私を激励するために、群馬から出て来て十日町で合流し、キャンプ場で一泊しようと言う計画がある。このためメンバーの1人が、私が北海道にいる内にそれ迄の走行パターンから推測して、且つ十分余裕をみて今日に決めた訳である。ところが私の方は予定外に男鹿半島へ行ったり、切り絵の先生と秋田で一泊したり、栃尾市のへ行ったりで、当日果たして間に合うかとかなり心配させた様である。ここ数日はいつものペースより距離を稼いでいたので、何とか予定通りに十日町に着けそうである。十日町のキャンプ場迄60km余り。朝6時すぎに出たので昼には楽に着けると思ったが、長岡市迄は長い上り坂。超えると一気に下って長岡市。17号バイパスは自転車が通れない所が沢山あり、その度に迂回したり時間ばかりかかる。やっと117号線に入って順調に走れる様になったが雨模様。ニコニコの連中は十日町のジャスコで買い物中であるが、そこへ合流するとかなり余分に走る事になるので、先にキャンプ場へ行く事にする。ところが117号線からキャンプ場の方へ曲がってすぐにパンク。初パンクである。外してみると、まだ山が残っているから大丈夫と思っていたタイヤは、相当減っており、中央部はとても薄い。釘などは笹って無いので、尖った石かなにかでチューブに穴があいたようである。とりあえず修理したが、早めにタイヤ交換の必要がある。さらにキャンプ場を目指すが、これがまた大変。ゴルフ場内と言う事なので悪い予感はしていたが、果たして上り坂。特に手前1km位からはとても乗っては行けず、大汗をかきながら押して上った。友はありがたい、我に難行苦行を与えてくれる。キャンプ場のあるゴルフ場案内所にようやく到着。しばらくして連中も到着。キャンプ場はここからさらに2kmも山坂を言った所だと言うので、自転車を預けて連中の車に乗せてもらった。車は楽である。キャンプ場のコテージは著名な建築課が設計した人気のある物だそうだ。今夜の夕食は我がニコニコクラブのシェフが腕を振るってくれた。一応客人扱いの私は何もしなくて良い。美味しい物を食べて飲んで、久々に友と語らい楽しい夜を過ごした。






走行距離 66km
支出 384円

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7/9 旧栃尾市

道の駅ふるさと村は街中なので泊まるにはあまり適当ではない。いろいろ探した挙句、河川敷でラジコンヘリを飛ばしていた人に訊いて公園の隅にテントを張った。高速の橋の下なので、もし雨でも大丈夫と思ったのは大きな間違いであった。高速を通る車の音は意外に大きく、大型トラックが通ると地響きがする。耳栓をするが、低い音や振動には効果がない。結局よく眠れないまま朝になった。今日の目的地は旧栃尾市。今は長岡市に合併されているが、同じ名前のよしみで一度訪れたかった。見附市を通ってR19を走るが、こんな山奥に町があるのと思える程である。途中の案内板に栃尾の字を見つけ、なんだか嬉しくなる。栃尾にに着いてまず元市役所の支所を訪ねた。生活課の窓口でここに来た経緯など話したが、少し訝しげであったが地域振興課の方に問い合わせていただき、そこの課長さんと係長さんがお相手をして下さった。そもそも栃尾市に来るきっかけになったのは随分前であるが、栃尾市から手紙を頂いたからである。栃尾と言う苗字がある事を知り、全国の栃尾宛に手紙を出したのだ。係長さんはその手紙を出した事は覚えておられたがその後どの様な反応があったかは分からないと言う。お二人から栃尾市の歴史や現状など話して頂いた。記念の手まりストラップやパンフレットを戴き、玄関で記念の写真を撮らせていただいて、帰ろうとしたが、強い雨。しばらく雨宿り。








昨日新潟の河川敷でラジコンヘリを飛ばしていた人は栃尾市の出身。栃尾市に母親が独りで住んでいるから寄って見ないかと言われていたので、菓子を少し買って寄って見た。すでに電話があったとのことで、待っていてくれた様子。上がらせてもらい、お茶や笹団子を頂いた。昭和3年生まれとか言ったので、私の母と同じ様な年代である。お年寄りには不似合いなプロ用ミシンがあるので訊いてみたら、旦那さんは婿養子だったが、子供が小さい時に離婚したので、洋裁を習ってそれで子供と親を養ってきたと言う。当時は時代が良かったので普通の勤めより沢山稼げたとも言っていた。それにしても子供二人に親まで養うのは大変であったろうと思う。
帰りによく来てくれたと、自分で作ったと言う手まりを下さった。実家の母に会ってきた様な気分であった。








おばあさん宅をでた後、薄暗くなった町を少し回った。町並みは古く、道も狭い。でも酒屋、あぶらげ屋、菓子屋、八百屋などの店が沢山軒を連ね、時代を感じるとても味のある雰囲気である。あいにく名物のあぶらげはもううる切れていたので買うことは出来ず、町に似合わず大きなスーパーで夕食を買い、1、5km先の道の駅に向かった。

走行距離 64km
支出 1694円

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2010年7月9日金曜日

7/8 新潟

昨夜は道の駅あつま。3人で遅くまで話していた、とは言っても、失業チャリダーが殆ど話していたが。6時頃起きて隣のコンビニでパンやおにぎりを買い、外でコーヒーを淹れて朝食を済ますと、あとの二人共起きていた。
7時頃出発。晴れだ。今日も暑くなりそうである。今日はなるべく新潟近くまで行っておきたい。そうすると後が楽になる。新潟まで100km余。7号線をそのまま行くと途中からまた山側の迂回路に入る。海岸沿いの道の様子を近くの人に訊いて見たら、海岸の方が景色は良いし、上りもちょっとだけと言う。海岸通りをしばらく行くと大岩が小岩が海に沢山。山から転げ落ちたかのようだ。この辺一帯はx(笹川流れ)と言う観光名所らしい。迂回路(バイパス)の方へ殆ど車が行くためか、交通量は少ない。自転車で走るには嬉しいが、観光客は大幅に減ったのではないか?民宿やら土産物屋が多いが客は少ない、大岩をくりぬいた古めかしい短いトンネルや、そこを通る列車も良い雰囲気だ。



道の駅笹川流れで冷やしうどん定食を食べたが、味はちょっと好みに合わない。少し過ぎた所に小さな看板で「美味しいランチ500円コーヒー付き」とあった。こちらの方が良かった残念。海水浴場が点在し、やがて瀬波温泉。さっき出会った佐世保のママチャリダーが、ここに足湯が有ると教えてくれたので、探していたら、あった。



だが残念ながら水であった。そ
のママチャダー、魚とりや釣りを楽しみながら北上している、かなりのベテランチャリダー。以前はマウンテンバイクで旅をしたが、故障すると修理に困るので、どこでも修理ができるママチャリが一番良いとか。その話は以前にも聞いた。旅マシンの究極はママチャリか?いや歩きか?
新潟が近くになると道がややこしい。7号バイパスは自転車が通れないのであちこち道を探し、県道3号に入る。これは新潟駅までまっすぐ行けるようだ。どうせならと道の駅新潟ふるさと村を目指す。新潟駅を過ぎてからはiPhoneを頼りにくねくね。18時頃やっと到着。
夕食は贅沢にガスト。

走行距離 116km(走り過ぎ)
支出 2843円
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7/7 村上市(道の駅あつみ)

道の駅鳥海の西浜コテージ村キャンプ場を8時すぎに出発。もっと早く出たかったが、ブログの更新やらで遅くなった。7号線を南下する。かなり強い向かい風。海岸線をずっと走るつもりだったが、いつの間にか陸の方の迂回路になってしまった。11時過ぎ、周囲が田んぼの所を走っていると、突然おばさんに呼びかけられ、紙包みを差し出し、「これ、ご飯食べてくれ」「怪しいもんでないよ」「孫の弁当でまめご飯炊いて。さっきあんたがそこで休んでいるのを見て、食べて貰おうと急いで持って来た。」「あまりもんでないよ、料理は得意だからおいしいよ」車で先回りして待っていてくれたようだ。突然の事で驚いたが、有り難く戴いた。昭和10年生まれだと言っていたので、75歳だ。しばらく行くと橋があったので、そのたもとでまめご飯のおにぎりを頂く。おばさんの言う通り、塩加減が絶妙でとてもおいしい。




やがて山道になり、上りが結構強いので、途中から海岸線に降りたが行き止まり。仕方なく元の道に上って戻る。ようやく海岸線に戻り、温海(あつみ)に入った頃から風向きが変わり楽になった。
この辺の海岸線は積丹のように大岩が海から突き出ていて面白い。道の駅あつみ。情報提供室と休憩室が有りとても広い。奥に畳の場所もある。あとで聞くと、旅人にはよく知られた場所だとか。



メールを打ったり、弁当を食べたりしているうちに、若いママチャリダーが1人。和歌山の31歳の植木屋さん。今頃は仕事が無いのだそうだ。草刈はあるが、それは自分がやるほどの量でないので、下の者に任せて来たと。荷物は驚く程少ない。殆ど着替えだけ。それで北海道を回って来たと言う。暗くなってからもう1人。これも普通のママチャリ。後にカゴのコンテナを積んだだけ。昨年末に解雇になり、その後住む所が無いので相棒と二人で関東や東北を自転車で旅して回っているらしい。相棒とは途中で喧嘩別れしたという。何か社会の縮図を見るようである。

走行距離 78km
支出 1388円

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