2010年10月31日日曜日

10/29 切り絵

阿川ほうせんぐり海浜公園。
夜明け前から風が強くなり、テントがあおられる。飛ぶ程では無いが落ち着かず。風が強いのでテントの中で調理。昨日の残りのカット野菜を炒めて卵を入れて食べる。テントの中では一酸化炭素中毒に注意が必要である。必ずテントの上の方にも隙間を開ける。下の方だけ開いていても一酸化炭素は上に溜まるので危険である。
8時出発。国道191号線をひたすら走る。坂が多いうえに向かい風。交通量昨日より多い。金曜日のせいか。191号線をそのまま走っていたら山道に入ってしまった。バイパスらしい。海沿いを行けば良かった。上りばかりである。地図をみると山の中腹をぐるりと回っている。鎖峠と言うらしい。鎖峠標高231m。
峠を過ぎて下り始めると晴れて来たので気分も良い。萩市に近い所で切り絵ギャラリー、アトリエの大きな看板が目についたので寄ってみる。



建物に入って声をかけると、すこしたどたどしく、しかし大きなはっきりした声で「いらっしゃいませ」「私は上田豊治です」「どうぞご覧下さい」と言う。作者は自閉症の方だ。壁に貼ってある新聞記事によるとお母さんが才能を見出してやらせたとある。個展を日本だけでなく世界でもやっている。作品はすべて白黒だ。その緻密さに感動。
お母さんにもお会いした。気さくな方で、萩の案内やら次の泊場所に良い所まで教えてくれた。お茶とお菓子をご馳走になり、わざわざ見送りまでして頂いた。



萩の街を通り抜ける。ここも電線の地中化を実施している。空が広くて良い。10km程で道の駅 阿武町 に着く。ここは道の駅発祥の地だそうだ。風呂や店が点在している。周囲は特に整備などしておらず、普段のままと言う感じ。こう言う感じは有難いが、あまり良い場所がない。軒下もあるが絶えず車が来そうな所。雨の心配はなさそうなので、裏の空き地にテントを張る事にする。前に建物があるので多少は風を防げる。風呂があるので久し振りに入った。
脱衣所の片隅にこんな物が有る。
何だろう?



走行距離 69km
支出 1285円



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10/28 新米

火の山公園
公園の落ち葉を集めて下に敷いたのはよかった。早く寝たので睡眠は充分。極僅かだが、収穫に関わった新米を頂いたので炊いてみる。



出来栄えは上々。自分で関わったので味は格別。



8時半頃出発し、地図も見ないで海岸沿いを走ったらとんでもない方向へ行ったりして、1時間程無駄な時間を使ってしまった。でもさすが下関。いろいろな船がひっきりなしに関門海峡を通る。対岸の門司までは600mらしいが、昨日の紙芝居の女性曰く、「室伏選手がうおーって投げたら届きそうでしょう」確かにすぐ近くに感じる。
国道191号線を走る。交通量は少ない。特にトラックが少ない様な気がする。道路標識に特牛と言う地名。ローマ字の読みをみると(kottoi こっとい)
難読漢字でも読みを知ると、なるほどと思うことが多いが、これはなぜ?と思ってしまう。
時間のあるときに地名のいきさつなど調べてみよう。
3時頃、阿川ほうせんぐり海浜公園。珍しく海辺が芝生になっていて、とてもきれいな海水浴場だ。休んでいたら急に雨が降り出す。時間も時間なのでここに泊まる事にする。


トンネル状の鉄骨の中に木造の建物があり、建物の間には透明な屋根がついている。テントを張るには丁度良い場所。床は板張りなのでいう事なし。


走行距離 60km
支出 1285円


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2010年10月30日土曜日

10/27 関門トンネル

6時起床。やけに大きな、鳥の声で目覚める。寒かった。ホームセンターで買ったフリースの上着を足に履いて寝たのでかなり助かった。



鳥の声と思ったのはスピーカーであった。店の人は早く来ると考え、7時には片付け完了。丁度7時からトイレなどの掃除の人がきた、ラーメン店の人はもっと早く来ていた様子。7時半ごろ出発。門司を目指す。関門トンネルは工事中である。人道トンネルは通れると言う人もいるし、通れないと言う人もいてはっきりしないのがちょっと不安。
築城自衛隊基地 のそばを通る。戦闘機離陸の爆音が凄い。コンビニの人に訊いたら、いつもの事らしい。騒音問題は米軍基地や飛行場だけではない。福岡県に入り、行橋と言う地名が見えた。リヤカーおじさんの家のある所だ。どこにいるのか気になって電話してみた。なんと近く居る。博多の妹さんの家に居ると言う。ブログや写真など資料を整理中だとか。普段は歩くのに精一杯でつい遅れがちになるという。よく分かる。これから家には寄らずにそのまま沖縄を目指すそうだ。元気そうでよかったよ。リヤカーおじさんに依ると、関門トンネル 残念ながら通る事は出来ないそうだ。ただし人、自転車、原付はバスとトラックで下関まで運んでもらえるらしい。門司に着き、和布刈神社まで来たが場所がよく分からない。車道トンネルの入り口に戻って警備員に訊いたら、和布刈神社のすぐ先だそうだ。また逆戻り。途中に案内の看板などは無い。人道トンネル入り口。引越しみたいなトラックが止まっていて、すぐ乗せてくれた。バスもしばらくして乗る事が出来た。トラックはバスのすぐ前を走っている。同時に着くので迷うことはない。無事下関に到着。



下関で香港から来た2人組に合う。北海道から日本を縦断しているという。これから九州へ渡り沖縄へ行くらしい。



海岸に紙芝居の看板が目についた。
「一人でもやります。
誰もいなくてもやります。
無料です。」
と書いてある。残念ながら最終は15時。今は15時20分程。丁度片付けていると所だった。「残念ですね」と言うと「やりましょうか?お時間ありますか?」と言うではないか。もちろんお願いした。タイトルは(晋作と龍馬)
晋作と龍馬が会う場面や、ここを舞台にした外国船との大砲の撃ち合いなど、身振り手振りに流暢なしゃべり。ボランティアらしいが、素晴らしい技。



今夜の宿はさっきの紙芝居の女性が教えてくれた火の山公園。関門大橋がよく見える所だ。あちこち物色して決めた場所は、
ユースホステルが目の前。目の前で野宿されてはユースホステルも商売あがったりである。
走行距離 60km
支出 1507円




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2010年10月29日金曜日

10/26 中津へ

6時半、仕事に行く江藤さんに
お別れを言う。8時半頃妹さんとお母さんに見送られて出発。朝倉市の秦さんの家に寄る。コーヒーをご馳走になった。日田市から国道212号で中津市を目指す。長い上り。幸い急坂ではないが、久し振りに荷物を全部で積むと重い。やっと山国峠。下っている途中に対岸に案山子の群れ。何かのイベントかと寄ってみる。「山国かかし祭り」であった。いろいろな場面を案山子で作ってあり、かなりリアル。顔は描いてない。見る人が想像して下さいと言う事。


途中の直売所でパンを買った。自転車で来た事を話すと、それはそれはと、試食用のナシと蒸しまんじゅうを沢山くれた。
昼食は江藤さんの妹さんに作って頂いたおにぎり弁当。コンビニのおにぎりもホットモットの弁当もそれはそれでおいしいが、自分のためにわざわざ作って頂いた物を食べるのは格別だ。気分がとてもリッチになれる。
青の洞門がある。教科書かなんかで知っている有名な話だが、それがこんな所にあるとは知らなかった。古い人は殆んど知っていると思うが、今の人は知っているのだろうか。観光地として結構賑わっているのにはびっくり。


岩をツチとノミで掘った130mのトンネル。途中から地元の人も一緒に掘ったと伝えられているが、30年かけて掘る執念に頭が下がる。トンネルは後に拡張されたが、実際に手で掘った部分も残っている。途中小雨。しばらくして中津市に着く。ここは鶏の唐揚げで有名らしい。少し行くと道の駅しんよしとみ。雨も心配だし、風も出て来たのでここで泊まる事にする。かなり寒くなって来た。
広い休憩所があり、これ幸いと思っていたら6時すぎには閉められてしまった。しかしその後も照明だけはこうこうと点いているのは何のためか?
風が強いのであちこち調べて、ラーメン店の前にテントを張る事にする。



近所にホームセンターがあったのでフリースの上着を買う。寒いときは足にも履ける
走行距離 75km
支出 1535円

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2010年10月28日木曜日

10/25 雨

はやばやと仕事に行く江藤さんを寝たまま見送る。なんだか申し訳無い気分である。外は雨。
新聞を読んだり、ブログを書いたりしているうちに、テントが濡れたままである事を思い出す。雨は降っているがしずく位は落ちるだろうと思い、軒下にロープを張ってかけて置く。昼は同居のご両親と一緒に妹さんが作ったご飯を頂く。すっかり居候である。明日は天気が回復する事を願う。3時前に江藤さんが帰って来た。クレームの手直しはイメージ通りに出来て順調に終ったという。
意外なビデオを見せてくれた。4年程前にテレビに出たと言うのだ。クリームシチューというお笑いコンビが各地のビンボーさんを訪ねると言う番組。ここ、うきは市で自給自足生活をしている家族を紹介した番組で、その家の御主人の弟子として一緒に江藤さんが出ているのである。そこでゲストの哀川翔が鯉釣りをやるために江藤さんが船に乗せたりしているのだ。
夕食は、私が明日出発と言うので妹さんがご馳走を作ってくれました。

走行距離 0km
支出 1300円

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2010年10月27日水曜日

10/24 福岡見物

予報通り朝から雨。午後は江藤さんが建築現場のクレーム処理の下見にいくと言うので営業の方の車で福岡まで行くことになった。下見はすぐ終わったので営業の方は帰り、江藤さんと男2人で大濠公園や護国神社を散策。



江藤さんの知人からコンサートのお誘いを受けていると言うので一緒に行く事になった。場所がはっきりせずiphoneの地図で検索するが、電波が弱いのか歩く速度に現在位置表示がついてこない。やっと着いた所はビルの3階のシャングリラと言う店。ちょっと大きめのスナック風の店。コンサートをやるには少し狭そう。次々と客がやって来て、開演の7時前には30人ほど集まりほぼ満員。会費は3000円でワンドリンクと手作りのスナックが付く。動物性の材料は全く使っていないのだと言う。そう言う主義の人の主催であろう。予定通り7時から始まった。ミュージシャンはロビンさんと言うアメリカ人。大道芸人風のいでたちだ。巧みな日本語でジョークを交え、いろいろな国の民族楽器を使った不思議な音楽を演奏する。尺八でオーバーザレインボーなど洋楽も吹く。打楽器や笛、カミンガを器用に使う。ギターやボーカルとの即興のセッションなどもあってなかなか面白かった。楽器には興味があるので触らせてもらった。カミンガは、叩いて潰した長さの違う針金の一端を、箱に並べて固定しただけの物だ。この針金を弾いて音を出す。いくつかの針金には薄い板の小片を巻き付けて調整しているので何か決まった音階がありそうだ。
帰りにはもうちょっと一杯と江藤さん行きつけ?店に寄り、その後バスで帰る。バス停まで妹さんが迎えに来てくれた。これまた申し訳無い気分である。


走行距離 0km
支出 600円


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10/23 稲刈り2

朝から足が筋肉痛である。毎日自転車で鍛えているつもりでも、しゃがんだり中腰での作業はまた別物のようだ。
いよいよ今日はコンバインで稲刈り。先日イセキの営業所で見つけたキャタピラーは、傷みがひどくて売ってもらえなかっらしい。結局販売店の方でなんとか中古品が見つかって動かせるようになった。そうでなければまた高いお金を払って刈ってもらうしかない。
先日と違い、脱穀された米は30kgの袋に入るので、これを軽トラに載せライスセンターに運ぶのが仕事だが、待ち時間がほとんどなので手伝っているのかよく分からない。江藤さんは、1人でポツンとやっているより、誰かが居てくれた方が有難いと言う。


明日の天気予報は雨。何とか今日中に草の多い田んぼは刈り終えたいと江藤さんは言うが、夕方遅くまでやったが、結局かなり刈り残しになった。草が混じっていると刈り取り速度がかなり遅くなるらしい。そう言えば時々エンジンの音が重くなっていた。

走行距離 0km
支出 0円






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2010年10月25日月曜日

10/22 稲刈り準備

江藤さんは仕事に。本職は大工さん。田んぼは副業であるが9反も作っているので楽ではない。
今日は江藤さんの妹さんと一緒にコンバインで刈り取るための下準備。田んぼの周囲とコーナーを手刈りするのだ。コンバインで端っこは刈りにくいので、予め刈っておいたほうが仕事がはかどるらしい。稲刈りはもちろん初めて。刈り方を教わって始める。農薬を使っておらず、また草取りをする余裕も無いそうで、稲の間は草だらけ。(タニシ農法)と言う事で普通のタニシではなく、ジャンボタニシと言うカタツムリに似た大きなタニシを捲いているのだそうだ。もともとこのジャンボタニシは稲を食害する害虫(虫?)何でも食う性質を利用して雑草を食べさようと言うもの。水面の高さをうまく調整する事により、稲を食う事なく、雑草だけを食ってくれるらしい。部分的に草がほとんど無い所があるのはタニシの効果であろう。所々にタニシの殻がある。












妹さんによると、十分な量のタニシをまく事が出来なかったらしい。本によるとタニシの移動には3cm以上の水嵩が必要で、水嵩が多すぎると稲の上の方の柔らかい所が食害を受ける。水面管理とともに田んぼの平坦性がが重要らしい。
端っこの稲刈りは姿勢の自由がきかず、しゃがんでやるしかない。1時間もやっていると足腰が痛い。






草の多い所は稲の株だか草だかわからない位で非常に刈りにくい。まるで草刈り。5時間程で田んぼ2枚
終了。2反くらいか。

走行距離 0km
支出 1380円

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2010年10月24日日曜日

10/21 再び、うきは市

道の駅阿蘇
昨夕からの雨は明け方まで続いたが幸い朝には止んだ。トイレで顔を洗っていると、同じくこの駅で車中泊らしい人。独り旅は今回が初めてで、道の駅のお泊りも昨夜がが初めてとか。「いやー1人旅はいいね。今まで女房と2人で旅行したけど、1人がこんなに気楽でいいもんだとはね」「・・・・」
9時頃出発。天気はどんより。帰りは212号線を走る。さっき道の駅で話しした別の人がキャンピングカーで手を振って追い越していった。212号線はうきは市の隣の日田市に繋がる。阿蘇駅から3-4km北へ走ると上りになる。昨日のやまなみハイウエーを戻るより楽らしい。それでも結構長い上り。頂上付近に展望台があるが、阿蘇の街がうっすら見えるだけ。





外輪山が壁のように見える。頂上を超えるとあとはほとんど下り坂。外輪山の頂上付近は牧草のようだ。






日田市まで基本的には下りだ。楽にいける距離と見て割合のんびり走る。直売所などがあると覗いてみる。切り絵ギャラリーと書いた食堂が目についたので寄って見る。A3サイズ位のが10点くらい、もっと小さいのが20点くらい6畳程の部屋に展示してあり、値段もついている。この店の人が作ったと言うので話をしようと思ったら、客が大勢でやって来たので、出来なかった。この道も沿線は温泉街が沢山ある。その一つ杖立温泉街におりて見る。狭い道路を川まで降りると、川の両側に大小の温泉宿が立ち並び、異次元空間を作り出している。
そのまま進んで国道に戻れるかと思ったが残念ながら行き止まり。
ようやく日田市。うきは市までは約10km。サッポロビールの日田工場が見える。途中の橋の下を覗くと箱庭のような景色が広がっている。





6時少し前にうきは市の知人宅に戻る。
走行距離 78km
支出 1248円

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2010年10月23日土曜日

10/20 阿蘇

休憩所の駐車場片隅
芝生の上なので快適。曇っていて、気温があまり下がらなかったようで、夜露が降りなかったのは幸いであった。しかし朝はすっかりガスがかかって何も見えない。テントを片付けたりしていると多少は良くなったものの遠くは真っ白。



ゆっくりして9時すぎに出発は。基本的には上りだが多少は下りもある。アスファルトの傷みが目立つ。あちこちひび割れだらけ。補修もでこぼこだ。昨日売店のおばちゃんがよくテントを張っていると言っていた長者原に着く。あんのじょう2時間以上掛かっている。この辺の名物らしいだんご汁を食べた。おいしいが高い。
阿蘇の方角は白くかすんだまま。かなりの急坂だが今までを凌ぐほどではない。2時頃峠に着く。標高1330m。今回の旅で自転車で上った最高地点だ。



峠の直前で夫婦連れに、峠の先はもうずっと下りと言われたが、阿蘇の地形が分かってないのでいまいちピンとこない。峠を超えると急に下り坂。さらにくねくねと下る。どんどん下る。下りの時が阿蘇山の見どころらしいが残念ながら見えず。いろは坂程ではないがブレーキから手は離せない。やっと下りが緩くなり、パーキングで止まってみたが下の町が薄く見えるだけ。ここの標高は750m。と言う事は580mも一気に下った事になる。さらに下る。地形がやっと分かった。さっきの峠が外輪山で、その中は平な土地が広がっているのだ。カルデラの大きさは南北25km、東西18km。カルデラとしては日本第二位。しかしカルデラの中に街があり鉄道まで通っている例は世界にも例がないらしい。かつてはカルデラ湖であった証拠の堆積物もみつかっているそうだ。この中央に阿蘇山がある。
阿蘇山に上る予定は無いので今日は阿蘇の道の駅に泊まる事にする。道の駅は阿蘇駅のすぐ傍にある。あまり良い宿泊場所はないが直売所のテントの下なら良さそうだ。雨も降ってきた。直売所をうろうろしていたら弁当類が半額になった。ラッキーである。弁当と唐揚げを購入で395円なり。案内図によると近所に風呂があるので入る事にした。地元の人は200円、そうで無い人は400円。200円ならともかく、400円払って入るにはちと粗末な風呂である。コンビニも近くにあったのでビールもどきもゲット。あとは直売所が閉まるのを待つばかり。

走行距離 57km
支出 2120円
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10/19 やまなみハイウエー

今日は阿蘇のやまなみハイウエーを走る予定。
8時ごろ江藤さんの妹さん見送られて出発。弁当まで作っていただいた。江藤さんはすでに本業の仕事に出かけ、その後妹さんの息子さんも出勤。
取り敢えず由布院を目指して210号線を走る。緩やかな上り下りが続くが上りの方が多い。天ケ瀬温泉、湯の釣り温泉など温泉街が沢山ある。天ケ瀬ではバイパスを行くと坂がきついので、温泉街を行く方が良いと教えられたので其の通りに進む。
途中の目に止まった石造りの橋。結構味のある外観。町の指定文化財らしい。




荷物を減らした事もあり、割合順調に進む。14時半頃水分峠。



やまなみハイウエーはここが始点である。由布院へはここから ずっと6km程下った所。良い所らしいがこの坂をまた上るのは気が重い。結局由布院へは行かずに、このままやまなみハイウエーを走る事にする。水分峠の標高は700m余り。やまなみハイウエーの最高地点は1300m位なので600m上る事になる。上り始め派それ程の坂ではない。昔バスで通った時はもっと周囲がよく見えたような気がするが、今は両側の木が大きくなって全く見えない。40年以上も経ったのだから仕方ないか。一時間半程上って休憩所があった。売店もありコーヒーを飲む。店の人にキャンプ出来そうな場所を訊くと、この先の長者原ならよくテントを張っている人がいるとか。しかしそこまでは車で30分かかるらしい。自転車なら2時間以上かかる。これからではすっかり暗くなってしまう。
売店のおばちゃんに「この辺にテント張ってもいいですかね」と訊くと「いいよ。あっちの芝生の上がいいね」と言うのでここに泊まる事にする。
走行距離 74km
支出 1570円


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2010年10月22日金曜日

10/18 稲刈りの

今日は稲刈りの手伝い。とは言っても刈るのはコンバイン。キャタピラーが切れた江藤さんのコンバインは使えず、結局人に頼むことになった。キャタピラの新品は10万以上もするらしい。しかも型が古いのでもう在庫がないだろうと言う話である。
今日の刈る所は3反。地主は早く刈りたがっているらしい。
今のコンバインは脱穀した米を大きなフレコンに詰めるのだ。




軽トラでフレコンを乾燥籾摺りに持って行くのが今日の仕事。
結局3回運んだだけ。江藤さん1人でもできた仕事だから手伝ったことにはならず、ほんの農業体験だ。稲刈りは3時頃終り。コンバインの手間賃は一反当たり16000円位らしい。すると今日の支払いは48000円。大変な金額だ。稲を刈ったあとになまずの干物があった。農薬は使ってないと言うのは本当らしい。



稲刈りの後、福岡の自然食レストランへ米の配達があると言うので一緒に行く。途中でたまたま目に止まったイセキの営業所に中古品コーナーがあり、覗いてみると同じ型のコンバインがある。しかも廃車。キャタピラーは傷んではいるが切れてはいない。あまり歓迎はされてなかった様だが、ねばって買い付けに成功した模様。2本あるから少なくとも今シーズンは大丈夫だろうと江藤さん。コンバインの寿命は10年くらいだそうだ。10年と言ったって使うのは一年に一回。仮に10反作っているとすると、10年で100反刈ったら買い換えである。300万のコンバインであれば、一反当たり3万円だ。そう考えると今日の手間賃16000円/反は高くはないことになる。日本の米は高いはずである。

走行距離 0km
支出 0円




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10/17 うきは市の知人宅

朝倉市の秦さんの家。1人暮らしの家は他にも伺った事はあるが、こんなに綺麗にしている家は初めてである。家は築後16年というが、風呂場などは一年も経っていないのではと思える程である。ちょっと羨ましいのはオーディオルーム。メーカーはよく分からないが立派なステレオがあり。数しれない程のCDが並ぶ。ジャズが好きらしい。
いろいろ話が尽きないが、10時半頃やっと次の訪問先を目指して出発。



今日の訪問先は目と鼻の先のうきは市に住む江藤さん。朝倉市とは筑後川を挟んで隣り合わせである。予定では既に稲刈りしているはずだが、コンバインのキャタピラーが切れたので今日は中止とか。週末のためあちこち休みで手配が難航してるようだ。昼は江藤さんご自慢のスパゲティーをごちそうになる。ガーリックが効いていて美味しい。



午後は市内が一望できる山に連れて行ってもらう。城跡らしいがそれらしい形跡はあまりない。見晴らしは良いが少し煙でかすんでいる。この辺一帯は稲わらを燃やす家が多いのだ。
夜は江藤さんが生のうなぎを買ってきて、それを庭先で焼いて食べる。蒲焼でなくても美味しいものだ。



走行距離 5km
支出 0円



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2010年10月21日木曜日

10/16 朝倉市の知人を訪ねる

道の駅山内
女性ライダー二人とテントを並べて泊まった。
昨夜は女性ライダーの1人がウクレレを弾き出した。島人の歌。友人が弾いているのを聞いてやってみたくなったそうだ。まだ始めて間が無いそうだがなかなか上手。ウクレレの弾き語りをこんな状況で聞けるのはなかなか良いものだ。もう1人も外に出て来た。ウクレレを弾いていたのはかん子さん。あとから出て来たのはジュリさん。二人とも旅が好きでお金を貯めては旅に出るらしい。その内にかん子さんは野菜を焼肉のタレで煮始め、ジュリさんもラーメンを作り始めた。かなり遅くまで話をしてそれぞれのテントに潜り込んだ。

昨夜は非常に寒かった。夜中に起き出し、カッパを着込んだ。
テントを張った場所は産直品の搬入口。朝の遅い女性ライダーは、人や物が次々来るので慌ててテントを片付けていた。記念写真を撮らせてもらって8時過ぎ一足先に出発。



今日の目的地は朝倉市の知人宅。北海道のサロマ湖の宿(さろまにあん)でいっしょになった秦さん。地図で見ると朝倉までは80km弱。泊まる所を心配しなくて良いのでなんとか行けるはず。幸い道は平坦。こんなに長い間平坦路を走るのは久しぶりだ。順調なので途中の公園でメールやブログを書いているとあっと言う間に1時間以上も過ぎた。其の後コンビニで止った時、改めて住所を入力して距離を見るとびっくり。朝倉市のずっと外れで、うきは市と隣接。予想より17-8kmも遠いのだ。その後はただひたすら走る。昼はおにぎりを急いで食べ、途中の景色はそっちのけで休まず走る。4時過ぎようやく朝倉市。5時頃あと残り数キロとなり少し余裕が出て来た。道路脇のコスモスが綺麗だ。白いのもある。



さっき電話をした、うきは市の江藤さんが道路脇で待っていた。屋久島からのフェリー以来だ。江藤さん宅には明日伺う予定。まさか隣町の目と鼻の先。とは思ってもいなかった。少し話しをした。丁度明日から稲刈りだと言う。
とうとう日が落ちた。夕焼けがきれい。




薄暗くなってようやく秦さんの家に到着。秦さんが表で出迎えてくれた。北海道以来4ヵ月振りの再会である。

走行距離 97km
支出 675円






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2010年10月20日水曜日

10/15 武雄市、道の駅山内

昨夜、宿の人が若宮神社で8時から面白い祭りがあると言うので行ってみた。狭い神社の境内も階段も人で一杯である。歓声は聞こえるが何も見えない。人をかき分け石垣の上に登って見ると、2本の竹竿の上で狐に扮した白装束の人が、ヨイショヨイショと言う掛け声に合わせて、逆立ち等出初式のような演技をしている。



最後に上から餅のような物を投げるが、一番最後はなんと懐からニワトリを取り出して投げる。これをとった人に一番の幸せが来るらしい。それにしても懐のニワトリはさぞや窮屈であったろう。いきなり高いところから投げられてびっくりしたであろう。
inter national house 2日目の朝
韓国女性はやはり眠れなかったらしい。カメラの充電器のプラグが使えないので困っていたが、朝、宿の人からアダプターが借りられたらしく、嬉しそうに見せていた。記念写真を撮らせてもらった。イギリス野郎もと思ったが、は起きたあと戻ってこない。
と言う訳で2ショット
名前はキムさん。とても可愛い方です。


出発は10時になった。取り敢えず佐世保を目指す。路面電車が通っているのでなんだか勝手が違う。昨日と同じく人が多いので走りにくい。
市街地を外れ、坂を上っているとチェーンが油切れの感じが出て来たので、路肩で油差し。その時通りかかったチャリだーがあっと言う顔をして止まった。よく見るとどこかでみた顔。とっさには思い出せず。さすが彼はよく覚えていた。四国の道の駅で朝早くに会った奴だ。自動販売機の取り忘れの小銭が収入源だと言ってた人。今回は鹿児島の実家に行くと言う。そこで落ち着いてくれれば良いがと思う。いくらなんでももう一度会う事はないであろう。
西海端橋の近くだが国道からは見えない。佐世保には行かず35号線の道の駅山内を目指す事にする。そのまま久留米方向に行けばサロマ湖で会った人や屋久島で知りあった人を訪ねる事ができる。しかし距離は80km近い。朝が遅かったので着いたのは6時ですっかり暗くなっていた。テントを張る場所を探していたら、裏の方に既に2つテントがある。「隣にテント張らせてもらいますよ」と言ったら「はーいどうぞ」と女性の声。

走行距離 80km
支出 1371円


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10/14 長崎

インターナショナルハウス
早めに起き、珈琲を入れ、昨日買っておいたパンを焼きピーナッツバターを塗って食べる。その後スペインの3人組が賑やかに起き出し、good luckと言って慌しく出て行った。ベッドはくちゃくちゃのままである。
宿は連泊にしたので今日は長崎観光。宿の裏側に小高い丘があり、公園があるらしい。眺めが良いと言うので登ってみることにした。斜面にはびっしり家が立ち並び、間を狭い階段が延々と続く。途中坂本龍馬の亀山社中とやらがあった。龍馬は特に興味は無いのでスルー。上まで車が通れる道もあり、それから各家に通じる階段がある。足が弱くなったら家から出られそうもない。いやここで生活していたら、そんな事にはならないか。若宮神社のお祭りと言うことで、通りに子供神輿の行列が出ている。家々の前ではご祝儀を持った人が行列を見守っている。てっぺんに公園があり長崎が一望できる。そのすぐ下に坂本龍馬の銅像がある。最近作られた物らしく新しい。すぐ近くに幕末の写真家上野彦馬の墓があったのでお参りする。坂本龍馬を始めこの時代に活躍した人達を撮影した写真家の草分け的な人。少しはあやかれるか。



その後原爆記念館へ行く。距離は4km程だが、長崎の街は自転車で走るには非常に具合の悪い。車道はバスやタクシーがひっきりなしに来て路肩に止まる。路駐の車も非常に多い。歩道は人が多く、バス停に立つ人が通行を妨げる。
原爆記念館は原爆投下までの経緯や数々の遺品、遺物、写真が展示されている。当然ながら今まで写真集やテレビなどで見たことのある物も多い。原爆の実物大模型ファットマンの前で楽しそうに記念撮影をする人も沢山おり、複雑な気分だ。修学旅行の小学性が大勢で来ていて、それぞれメモを取りながら見学している。どんなレポートが書けるのか見てみたい物だ。最後の方に展示してある、赤ん坊をおぶった男の子の写真が目をひいた。キッとした目つきで前方を注視している。背中の赤ん坊の首は後ろにひっくり返っている。説明文を読むと、死んだ兄弟を焼き場に連れてきているのだ。この男の子、10分あまりも佇んだ後に、係りの人に赤ん坊を託すと一目散にかけて行ったと言う。
となりの追悼館へも行ってみる。こちらはさっきと打って変わってほとんど人はおらず、非常に厳かな雰囲気。
平和記念公園では、やはり小学生の団体が誓いの文を読み上げたり、千羽鶴を奉納しみんなで歌を歌っていたのが印象的であった。



午後はあちこち走り回る。坂本龍馬ブームなのであちこちに看板やのぼりが目立つ。
夕方、宿の同じ部屋に韓国の若い女性が来た。女性部屋もあるがミックスの方が安いらしい。安いとは言え何百円の違い。外国の女性はたくましくて合理的。でもこの女性、こんな宿は初めての経験で、とても緊張していると言う。日本語は結構しゃべる。日本のアニメが好きでそれをみて勉強したらしい。昨日は湯布院へ行って来たと言って、買って来たロールケーキをご馳走してくれた。
今夜は昨夜と同じイギリスの若者と韓国女性の3人。

走行距離 19km
支出 1759円

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2010年10月16日土曜日

10/13 長崎

昨夜は国見町(島原市?)の海岸。堤防の外側の平坦な所。すぐ近くにトイレと駐車場。この辺はトイレ付きの駐車場が所々にあり、とても有難い。



夜中に少しガサガサと虫か何かが這う音と波の音。コンクリートの上は背中が痛く、何度も寝返りをしたようだ。昨夜の虫はよく海岸にいるげじげじみたいなやつだったようだ。
8時ごろ出発。ここは誰もこないので急いで片付ける必要もないのだが、今朝も曇っているし、午前中の降水確率は高い。国道251号を走る。途中の直売所で弁当を買う。最近直売所の弁当は新米と見えて美味しいのだ。ひたすら走ると諫早湾だ。しばらく走るとまっすぐな堤防が対岸に伸びているのが見える。これがてテレビで繰り返し報道された、つぎつぎと落下するギロチンシャッターの場所か。



シャッターは既に堤防と道路になっているので渡ってみることにする。全長7km。ほとんど真っ直ぐな道路だ。途中で会った人によると、最初はもっと東側(もっと広い範囲)に作る予定だったとか。可動の水門があるのは北の端のほんの100m程でである。去年だったか、開ける開けないでもめたのはこの水門のことか。
水門は遥か向こうにあり。堤防でし切られた諫早湾をほぼ回ったが、高い所が無いので全体が見えず。広いことには間違いない。諫早湾の干拓が計画されたのは昭和30年ごろらしい。まだまだ食料不足で米が配給制の頃だ。覚えている方も多いだろうが米を買いに行くのに通帳が必要だったのだ。今の様にいくらでも米が買える時代ではなかった。諫早市から国道34号線を通って長崎へ。長崎直前は結構きつい坂道。長いトンネルを抜けると一気に長崎へ滑り込む。今日の宿はさっき予約した。インターナショナルハウス。ゲストハウスだ。2500円。那覇よりずっとたかいが観光地ナノで仕方無し。部屋は12畳くらいで8人部屋。イギリス人1人とスペイン人3人だ。那覇よりずっとこぎれい。

走行距離 63km
支出 6984円(2泊分)

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2010年10月15日金曜日

10/12 雲仙普賢岳

道の駅有明



テントを張るスペースがないのでベンチに寝袋で寝た。特に寒くもなく昨夜よりはずっと良く寝られた。コーヒーを淹れるため準備していると、高野山から来たと言う夫婦に話しかけられた。誰しも思うけど、実行するのは容易ではないのですごいと言われた(日本一周)
7時ごろ出発。どこの道の駅も車中泊が2-3台はいる物だ。ここは4台くらいか。キャンピングカーも1台。
テントは使わなかったので撤収は楽々。今日は雲仙に渡る予定。324号を走る。天草からは北へ向かう。鬼池のフェリー乗り場についたら丁度良いタイミングで9:45発に乗れた 。自転車込みで740円。30分の短い船旅である。口之津に着いて、さてどっちへ行こうかと思ったが普賢岳が見えそうな外側を回る事にする。251号線を進む。
道の駅(みずなし本舗ふかえ)この辺りは普賢岳の噴火でかなり被害のあったところらしい。すぐ横に土石流で埋まった家がそのまま保存されている。



ほとんど屋根だけしか出ていない。既に避難していて助かったそうだが、もし居たら、助からなかったであろう。
さっきまで見えなかった普賢岳が見えてきた。一番高い所は平成新山で普賢岳はそれより低いから、どこだかはっきりしないが煙は見えない。

水無川のとなりの川から見た普賢岳付近(中央)右は眉山。


そろそろ今夜の宿探し。海岸に近い道だが、ずっと民家があるので泊まれるような場所はない。数km先に公園があるのでそこを目指す。すこし行くとトイレ付きのポケットパークがある。その先に海岸に通じる道。行ってみるとコンクリートの堤防。海側は平で広く、十分テントは張れそう。明るい内にと急いでテントを張る。荷物をおいて買い物。幸いすこし行くとスーパーがあった。ところが雨が降り出す。テントに戻るまでにすっかり濡れてしまった。雨は幸い長くは続かなかったが結構強く降った。テントで雨は久しぶり。

走行距離 81km
支出 1417円

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2010年10月14日木曜日

10/11 天草

道の駅竜北



畳もあって文句はないのだが、眠れなかった。照明の一部がモーションセンサーで、寝返りしたくらいでパッと灯りが点き2-3分で消える。また、寝たと思ったら子供の声。すぐ帰るだろうと思ったが帰らない。見ると中学性らしいのが勉強している。テストかと訊いたら違うと言う。家で心配しないかと言うとすぐ近くだからと言う。2時近くまで居ただろうか。それにしても親は知っているのか。少し眠ったらまた起こされた。直売所に野菜などを納めにくる爺ちゃんたちがやかましい。4時前から来て大きな声でしゃべる。ところが何を言っているのかさっぱり分からない。所々単語がわかるだけ。そう言えばさっきの中学性の会話もよく分からなかった。これが熊本弁?
竜北から266号線で宇城市を通り、不知火町(これも宇城市)。三角、大矢野。途中に天草四郎メモリアルホールがある。天草五橋の辺りは松島町。小さな島が点在していて、なるほど松島だ。芭蕉が松島より先にここに来て(天草やああ天草や)と詠っていれば、今の松島は天草町になっていたかも。


ここから324号線。
この辺はたこが取れるようで至る所にた(こ街道)の文字があり、タコ焼き屋も多い。
道の駅有明に大きなタコのモニュメント。






そろそろ4時になるし、しばらく道の駅は無いのでここに泊まる事にする。

走行距離 71km
支出 2283円


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10/10 氷川町

出水市 温泉宿泊センター。
天気は良いはずなので早く出ようと思っていたが、結局8時になった。雲はあるが良い天気。風も少し。相変わらず平な道は少なく、上ったり下ったり。12km程で水俣市。水俣病関連の施設があれば見たいと思っていたが、道の駅水俣の近くに資料館があったので行ってみる。道の駅周辺は広大な公園。ちょうど市民運動会の開会式が行われている。水俣病資料館はずっと奥の少し高い所にある。15分程のビデオを見てから展示コーナーを回った。断片的な知識はあるが、現地でこうして沢山の資料を目の前にすると、改めて被害に遭った方達の苦しみや悲しみ。早期に食い止められなかった事への憤りを感じる。

これは胎児性水俣病で生まれた娘の成人式で晴れ着姿の娘を抱く父親。娘は2年後に亡くなった。


他に生々しい写真は沢山あったが、これは楽しそうに笑っているだけによけい悲しさを誘う。
先ほど異常な程に広大なと思った公園は、八代湾や不知火湾の水銀に汚染された海底のへドロを集めて埋め立てたところなのだ。水俣病も足尾銅山の鉱毒事件と同じ経過だなと思う。当初は伝染病と思われ、家族も迫害を受けた。原因が分かってからも長い間操業は止まらず、被害を拡大させた。止められなかった行政の責任は大きい。まだ訴訟は完結してないらしいが、もう二度と同じような事は起こして欲しくないと思う。

オジンではなくお爺ちゃんチャリダーに出会った。80歳。




71歳の時からある事を考えながら東京と鹿児島をもう46回も往復していると言う。んんっ、そんなに何回も往復できるか?
少し話し始めたら、このおじいさん、なんと永久機関の研究をしていると真面目に言う。更に全ての物に磁気が作用していて、生命が誕生したのも、はたまた宇宙の誕生も磁気の働きだと言う。興味があるから聞いている内に、どんどん話に熱を帯びてくる。近くを通った人が何か揉め事かと聞いてくる程。なかなか切り上げのチャンスがなく30分以上も話を聞くハメに。それにしても元気な爺ちゃん。これで鹿児島に着いたらもう自転車旅は終わりらしい。ダイワハウスの命名はお爺ちゃんとその仲間だそうだ。プレハブ住宅はこのお爺ちゃんが考えたのだとも言った。沢山貰ったかと訊くと、全然だそうだ。近い内に永久機関発明のニュースが出るかもしれない。

今夜は道の駅竜北

走行距離 80km
支出 1310円






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10/9 出水市 2

昨夜からの雨は止みそうもない。チェックアウトの時間も迫ったので、今日は走るのは諦め、連泊にした。近くの(とは言っても1km程だが)コンビニまで買い出しにでかける。宿泊費がかさむの自炊するつもりだ。もう少し先にスーパーがあった。節約するはずが結構色々な物を買ってしまった。インスタントみそ汁、コーヒーのパック、インスタントラーメン。ミカン、ビールもどきも。
皮肉な事に連泊を決めたら天気が良くなってきた。午後は晴れたので鶴の博物館クレインパークへ。ここ出水市は鶴が飛来する街。鶴に関する物がたくさん展示してある。でも客はたった一人。これも箱物行政の一環か。鶴の種類が思いの外沢山あったりして、それなりに楽しめたが、しかしなぜ鶴は昔からこれ程大事にされるのだろう。見た目の優雅さか。



出水市の中心は国道3号線から少し離れている。途中の田んぼは稲刈りの真っ最中だが、不思議なことにこの辺りは、コンバインではなく稲刈り機で刈り取ったあと竿にかけての天日干しが多い。群馬辺りでは殆ど見られない光景だ。国道に近いところには大型店舗がズラリ。人の流れの中心は確実に変わってしまっている。リサイクショップに寄って見た。こんな店を見るのは大好きだ。所変われば品変わるで館林近辺とは微妙に違うので面白い。古本もあったので、つい何冊か買ってしまった。また重くなる。
戻ると宿が夕日に照らされていてきれいだ。



走行距離 17km
支出 2089円



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