2010年7月20日火曜日

7/18 穴水町曽良

夜露で濡れたテントを乾かし9時まえに出発。近くにある能登水族館へ行った。開園の9時丁度くらいだがすでに客は沢山来ている。ウニやヒトデを直接触ってみられたり、水槽の横から手を入れて魚に触れる事が出来るなど工夫されている。北海道の朝日山動物園と同じ様なアクリルの大きなトンネルを通ると色々な魚が天井や壁を通して見る事が出来、とても楽しい。赤い光に浮かぶクラゲの動きは幻想的。ずっと見ていても飽きる事はない。
11時ごろ水族館を出て、能登島のもう一つの橋ツインブリッジを通って中島へ渡り、さらに穴水へ。穴水から海岸沿いの道へは峠越え。海岸沿いの道はほぼ平坦だが、くねくねと入り組んでいる。途中出会ったライダーからこの先のキャンプ場等の情報を聞く。道沿いに民家があるが店らしいものは無い。小さな入江にヨットが沢山停泊している。周辺の家はほとんど別荘の様である。殆どの路地に(私有地に付き立ち入り禁止)の立て札。売り物件も多数みられる。しばらく行くと集落。店があるかもしれない。またそろそろ寝る場所も必要。家の前に出ている男の人に店を訊くと、店はすぐ隣だと言う。でも残念ながらビールは隣の町に行かないと無いと言う。さらにテントを張って寝る様な場所は無いですかねと訊くと。この先の廃校になっている小学校の校庭なら大丈夫だと言う。小学校の校庭は一度は泊まってみたかった場所。願ってもない場所だ。







お礼を言って行こうとすると、先ほどの人がトラックに乗ってきて、隣町の店まで乗っけて行くと言う。そこで買い物したら小学校まで戻ってきてあげるから自転車も乗せろと。せっかくのご好意に甘える事にした。(この方建築業の川尻さん)。ビールと野菜を少し買って小学校まで戻って貰い、さらに小学校のそばの家に紹介してくれて、水を使わせてやってくれと頼んでくれた。この家の人、何と100才のお爺さん。1人暮らし。水を貰いに行くと上がれと言うのでお邪魔した。耳はかなり遠いがとてもしっかりしていて100才には見えない。生まれは明治43年。私の父と同い年である。と言う事は父も生きていれば100才。北国出版のアクセスと言う本にこのお爺さんの記事が載っているのだ。






なげしの上には総理大臣麻生太郎や知事からの表彰状。それにこのお爺さんの囲碁4段の認定書。囲碁は出来るかと聞かれたが残念ながら不調法。少し残念そう。満州時代の話を聞いた。航空機製造の事務をやっていて、内地の人の何倍も給料を貰っていい思いをしたが、終戦と同時に労使の立場が逆転し4回も死に損なったり、銀行の積んであった金は 全てパーになったり。引き上げてからも織機を買って仕事を始め、機械のメーカーにそそのかされさらに新しい機械を入れ、一時は儲かった物の安い中国産に負けて倒産。結局は騙されたらしい。

走行距離 41km
支出 1450円

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