2010年7月11日日曜日

7/9 旧栃尾市

道の駅ふるさと村は街中なので泊まるにはあまり適当ではない。いろいろ探した挙句、河川敷でラジコンヘリを飛ばしていた人に訊いて公園の隅にテントを張った。高速の橋の下なので、もし雨でも大丈夫と思ったのは大きな間違いであった。高速を通る車の音は意外に大きく、大型トラックが通ると地響きがする。耳栓をするが、低い音や振動には効果がない。結局よく眠れないまま朝になった。今日の目的地は旧栃尾市。今は長岡市に合併されているが、同じ名前のよしみで一度訪れたかった。見附市を通ってR19を走るが、こんな山奥に町があるのと思える程である。途中の案内板に栃尾の字を見つけ、なんだか嬉しくなる。栃尾にに着いてまず元市役所の支所を訪ねた。生活課の窓口でここに来た経緯など話したが、少し訝しげであったが地域振興課の方に問い合わせていただき、そこの課長さんと係長さんがお相手をして下さった。そもそも栃尾市に来るきっかけになったのは随分前であるが、栃尾市から手紙を頂いたからである。栃尾と言う苗字がある事を知り、全国の栃尾宛に手紙を出したのだ。係長さんはその手紙を出した事は覚えておられたがその後どの様な反応があったかは分からないと言う。お二人から栃尾市の歴史や現状など話して頂いた。記念の手まりストラップやパンフレットを戴き、玄関で記念の写真を撮らせていただいて、帰ろうとしたが、強い雨。しばらく雨宿り。








昨日新潟の河川敷でラジコンヘリを飛ばしていた人は栃尾市の出身。栃尾市に母親が独りで住んでいるから寄って見ないかと言われていたので、菓子を少し買って寄って見た。すでに電話があったとのことで、待っていてくれた様子。上がらせてもらい、お茶や笹団子を頂いた。昭和3年生まれとか言ったので、私の母と同じ様な年代である。お年寄りには不似合いなプロ用ミシンがあるので訊いてみたら、旦那さんは婿養子だったが、子供が小さい時に離婚したので、洋裁を習ってそれで子供と親を養ってきたと言う。当時は時代が良かったので普通の勤めより沢山稼げたとも言っていた。それにしても子供二人に親まで養うのは大変であったろうと思う。
帰りによく来てくれたと、自分で作ったと言う手まりを下さった。実家の母に会ってきた様な気分であった。








おばあさん宅をでた後、薄暗くなった町を少し回った。町並みは古く、道も狭い。でも酒屋、あぶらげ屋、菓子屋、八百屋などの店が沢山軒を連ね、時代を感じるとても味のある雰囲気である。あいにく名物のあぶらげはもううる切れていたので買うことは出来ず、町に似合わず大きなスーパーで夕食を買い、1、5km先の道の駅に向かった。

走行距離 64km
支出 1694円

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