2010年10月4日月曜日

10/2 奄美市名瀬

朝、神父さんにちょっと手伝ってと言われ、外回りの道路の掃除をする。敷地は広いので掃除だけでも大変である。周囲の道路まで掃除するのだ。
9時過ぎに出掛ける。またここに戻って来られるので荷物、は殆ど置いていけるのが嬉しい。
龍郷町から海岸通りを名瀬に向かう。龍郷町は西郷南洲(隆盛)が維新前に隠れ住んだ場所らしい。住居や記念の松などが道の途中にある。三沢あけみの「島育ち」歌碑がある。



ボタンを押すと大きな音で曲が流れる。この歌を聞くのは久しぶりだ。2回も流れるが2回目は申し訳ないが聞かずに走り出す。名瀬までは58号線を行くと20km足らずだが、海岸通りを行くと30km以上はある。おまけに坂だ。景色はとてもきれいだし道もよく手入れされていてきれい。



草枕工房という手づくりの立て看板が有るので、何を作っているのかと入ってみる。ミカン畑の奥に小屋があって男に人が寝ている。声を掛けると起きて来た。焼き物をやっているのだ。趣味でやっているだけだと言う。焼き物の良し悪しは分からないが、小さい作品が数十個、棚にきれいに並べられている。一応値段が付いていて、200円から500円くらいと安い。本当に趣味らしい。今ちょうど釜に入れて焼いといるところ。
いろいろ話しているうちに奄美の歴史の話になった。知らなかったが、奄美が本土復帰になったのは昭和28年。それまではアメリカの領土。当然日本からの支援はなく、基地のある沖縄は別として奄美にはアメリカからの支援も殆どなく。人々は飢えに苦しみ、そてつの幹まで食べたそうだ。沖縄へ渡ったり、本土へ密航する人も大勢いたらしい。奄美が本土復帰になると今度は、沖縄との行き来にパスポートが必要となり、大変不便な時代が沖縄の本土復帰の昭和47年まで続いた。
名瀬まであと20km位だがしばらくきつい登りが続くが荷物がないとかなり楽。とうげをこえるとあとはずっと下りで爽快である。雨が少しぱらつく。名瀬は奄美で一番大きな街。狭いアーケード街に入ってみる。店がたくさん並び結構賑やかそう。ちょっとなにか食べたいので、たこやき屋に入る。常連の客らしい人が3人程。タコ焼きとコーヒーを注文したら、昆布の佃煮や、野菜の煮物まで出て来た。自転車の旅だというと更にドラゴンフルーツ、グヮバまで食べてみろと出してくれる始末。話を聞くとこのアーケード街は以前はもっと人が来て賑わったらしい。
更に町を探索。役所前の小学校で父兄らしき人達が大勢で運動会の飾り付けをしている。明日はこの辺り一斉に小学校の運動会らしい。そう言えば龍郷町も運動会だと言っていた。
帰りは58号線を通って龍郷町へ。途中、大きなスーパーやショッピングセンターがあって、大勢の人が買い物に来ている。さっきのアーケード街もこのせいで客が減っているのだろう。
夜、近所の信者さんの家に呼ばれ、神父さんと二人ご馳走になった。ここの御主人、75歳。最近は少し耳が遠くなったらしいが、猟の方は達者で、先シーズンは仲間と30頭のイノシシを取ったと言う。狩猟のグループはいくつかあって、40頭以上取るグループもあるとか。頂いたイノシシのスープは大変おいしかった。




走行距離 56km
支出 2461円


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